群衆心理(群集心理)が向かう先には:前半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~

では、話を戻しますが、1789年のフランスでは深刻な《 財政難と食糧危機 》が発端となり、群衆(国民)が自由や平等を求め国民議会を結成し政治に影響力を持つようになります。
権力を何が何でも手放したくない特権階級は群衆を力づくで抑え込もうとしますが、バスティーユ牢獄襲撃事件に代表されるように群衆は更なる勢いを増し、1793年には国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは処刑されるに至ります。

ル・ボン:
『 これまで、老朽した文明の大破壊ということが、群衆の最も著しい役割をなしてきた。
  歴史の教えるところによると、社会の骨格である道義力がその効力を失ったときに、まさに野蛮人ともいうべき凶暴で無意識なこれらの群衆によって、その決定的な瓦解(がかい)が行われたのである。
  群衆は、もっぱら破壊的な力をもって、あたかも衰弱した肉体や死骸の分解を早めるあの黴菌(ばいきん)のように作用する。
  かくて一時は、多数者の盲目的な力が、歴史を動かす唯一の哲理となるのである。 』

 

そして、フランス革命でも群衆により歴史的文化的遺産などの破壊が行われたり、今まで犯罪とは無縁であった多くの人々が放火や殺人などの残虐行為に《 手を染めていく 》事となります。

ところで、世界の出来事などを見渡してみても、平穏なデモがいつの間にか暴動に豹変していたり、災害等が起こるとお店からの略奪行為が行われたりしている光景もよく目にします。
いわゆる、

 

《 たがが外れた 》状態

 

になってしまうという事です。
そして、正義(感)というのも時代や社会状況(背景)で変わってしまうのは《 歴史が証明 》している通りです。
このような正義(感)とは現代(現在)のSNS等での誹謗中傷や炎上などの中にも同じ要素は含まれています。

勿論、これもTOPICSでお伝えしております通り、駄目なものはダメ!と声を上げる事は大切で必要ではありますが、《 正論を振りかざす 》事と《 理想を追求する 》事とでは違いがあり、ここにも先程の真の動機が大きく深く関係しています。

更に、同じくSNS等では《 匿名 》との関係性も拍車を掛けている要因です、、、

過去のフランスでも現代(現在)であっても、

 

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

 

との視点がやはり必要で大切となります。

ちなみに、現在は日本でも安全保障との名目の元で、反撃能力(敵基地攻撃能力)やミサイルの保有などが取り沙汰されていますが、世論調査ではこれらの方針に賛成の人が増えている模様です。
繰り返しですが、

 

外交の失敗が戦争を引き起こす・・・

 

果たして、日本でも充分に《 手を尽くす 》などの丁寧なコミュニケーションが各国と行われた上での事なのでしょうか、、、

更に、充分に手を尽くした上でも(充分に手を尽くしたからといって)認められる事なのでしょうか、、、

 

そして、ロシアとウクライナの戦争では、確かに一方的に攻め入ったロシアに非があり、赦される事でないのは論を待たずではありますが、日本は米国と西欧から(垂れ)流される《 情報の渦の中 》におり、そこからもたらされる情報を《 当たり前(あるいは正しい) 》と思い込んでいる節が(多々)見受けられますが、《 盲目的になり過ぎてはいないか 》などの自省の面の《 振り返り 》と共に、どうして、何故、このような状況(状態)にまでロシアを追い込んでしまったのか、などの面(過程や経緯)にも気づかなければ同じ轍を踏む 》事になりかねません、、、

では、話を戻し、ル・ボンが考える群衆とは次のようなものです。