群衆心理(群集心理)が向かう先には:前半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~

第438回:『 群衆心理(群集心理)が向かう先には:前半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~ 』
【 参照キーワード:ギュスターヴ・ル・ボン、群衆心理、群集心理、心象(イマージュ)、暗示、マイナンバーカード、コロナワクチン 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です!

ここ数年来、その年の最初のTOPICSにおきましてはキーワードのようなものをお伝えし続けて来ておりますが、例年では11月頃から色々と考える?浮かぶ?待つ?ような感じで進めておりました(笑)

そして、ここ最近のTOPICSでは2回ほど韓国でのハロウィンにおける圧死事件(事故)をそれとなく話題にも出しておりましたが、私の中ではどうしてもこの出来事が気に掛かる面があるからです。

そして、この気に掛かるというのは同種の事件(事故)が繰り返される危険性というよりは、このTOPICSで繰り返しお伝えしております、

 

物事や出来事は大なり小なりそれぞれを反映している

 

との視点からのものです。

そこで今回は「群衆心理(群集心理)が向かう先には:前半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~」というテーマをお届けして参ります!
なお、今回と次回で今年のTOPICSは締め括りとなる事からも、かなり痛烈な表現や皮肉なども交えてぶっちゃけて参りますので、お気を悪くされる方がいらっしゃいましたら、先にごめんなさい!!!と謝罪申し上げます(笑)

では、まず最初に、

 

一定の理性から何かに《 協力する 》事と・・・

過度な感情から何かに《 群れる 》事とでは・・・

その性質も意味合いも全く違い・・・

何よりその先の出来事に大きな変化が生じる・・・

 

という点があります。
この「協力する」事と「群れる」事の違いを、まずは頭の中に入れておいて下さい!

なお、今回は「群衆」と「群集」は同じ意味として捉えて頂いて大丈夫ですが、『 広辞苑第六版 』(岩波書店)によると《 群集心理:群集の状態におかれた人々が示す特殊な心的状態。 無責任性・被暗示性・非論理性などの傾向がある。 》と定義されております。

 

そして、TOPICSでは「過度な二者択一に陥らない」との点を繰り返しお伝えしておりますが、望ましい群衆心理(協力など)もあれば、望ましくない群衆心理(群れるなど)もあります。
この望ましくない群衆心理では《 長いものには巻かれろ 》《 朱に交われば赤くなる 》《 ミイラ取りがミイラになる 》などの言葉も繰り返しお伝えさせて頂いております。

そして今回活用する素材は『 100分de名著 』(Eテレ)の「ル・ボン “群衆心理”」(全4回)からになりますが、そこでのポイントに加え、私なりの今年の《 振り返り 》も含め、様々な視点を加味して参ります!

 

そして、この全4回は第1回:「群衆心理のメカニズム」、第2回:「“単純化”が社会を覆う」、第3回:「操られる群衆心理」、第4回:「群衆心理の暴走は止められるか」と題名が付けられておりますが、ここからはそれらを混ぜてご紹介する事に加え、おそらく《 難しく感じる 》という面があるのは否めないかと思われますが、どうぞ《 諦めずに 》触れて皆さんなりに《 知り 》《 考え 》、そして何かに《 気づく 》ようにしてみて下さい。

そして、ここからのお話は今から100年以上前の状況の元ではありますが、また、私はル・ボンの考え方や捉え方の全てを肯定している訳でもなく、ましてや正しいなどと言っている趣旨でもありません。

 

ただ、ル・ボンの視点を《 現代(現在) 》と「繋げて」「重ねて」みる事が、、、どうしても大切で必要になってくる面は存在している、、、そのように私には感じられております、、、

では、進めて参ります!