迷いや悩みには丁寧という側面もある ~元裁判官から学ぶ視点~

木谷 氏:
『 さぁ、前(最初)の事件について、どう自分が向き合っていくべきかという事は、やっぱり、しばらくねぇ、心の整理をするまで悩みますよね。
  もうお前、後で事件やっちゃったくらいだから前の事件も本当なんだという事で、もうこれは両方とも有罪としてしまえば簡単ですよ。
  判決もそんなに詳しく書かなくても、おそらく高裁でひっくり返ることは無い。
  そういう事を考えると、楽をしようと思えばね、両方とも有罪にしちゃうのが一番簡単なんですよ。

 

  まぁ、それで、木谷さんは何故そんな再犯した被告についてもね、前の事件を無理に無罪にするんだとかね、そういう目で見る人だっているはずでしょ。
  検事は勿論そう思いますからね。
  下手すりゃその部分について検事が交渉すると、控訴で(無罪が)ひっくり返る怖れもあると、だったら、あまり意味ないんじゃないかとかね。
  そういうような雑念もね、絶対に生じないという事は無いですよ。
  (人間には先入観とか思い込みとかがある)それが一番怖い事なんですよね。

 

裁判官はそういう事に囚われずに、率直に判断出来るはずだという事になっているんですけど、やっぱり裁判官も人間だからね。
  本当にこうだったっていう事を知っているのは被告人だけなんです。
  神様と被告人以外は本当の事を知らない。
  法廷にいる人の中で真実を知っているのは被告人だけだと。
  真実を知っている被告人に対してこれが真実だという判決をする裁判官ってのは、如何に恐ろしい事をやっているんだという事をね、考えなきゃいけないです。

  それから、裁判官が真実だと考える事が本当の真実なのかどうかって事は、他の人は分かんないですよ。
  (でも)被告人(だけ)には分かっちゃうんです。 』

 

ところで、これは宗教という側面とは全く違いますが、

 

《 お天道様は見ている 》

《 壁に耳あり障子に目あり 》

《 自分自身に嘘はつけない 》

 

などの言葉もありますが、これらの全てを統括出来るものが、これもTOPICSで幾度もお伝えしております、

 

《 自分のした事は自分に反ってくる 》

 

になります、、、

少々長くなってしまいましたが、番組では他にも色々なエピソードや元服役囚の方のインタビューなども紹介されておりましたが、番組の半ばで被告人(という存在)に対し、、、被告人(という存在)のその後の人生に対し、、、という面について木谷 氏は次のように語っておられました、、、、

木谷 氏:
『 (裁判が終わった後に更生などの姿を)そういう事を期待してやる訳じゃないけれども、やっぱり、一人の人間と人間とか、法廷で相まみえて、そして片方は裁かれる、片方は裁く人間、立場が違う訳ですけれども、同じ人間同士なんだという前提で相対していきますから、そういう事が結果としてね、本人達も人間として扱って貰ったんだという気持ちが残る可能性はありますよね。

  しかし、証拠に照らしてお前の言い分はどう考えても採用出来ない、残念ながらという風な判決になる事はあるけれども、それはそれとしてやむを得ない事なんですよね、裁判である以上は。
  そこで、、、人間と人間なんだという事を根底に持って相対するという事が一番大切なんじゃないかなぁという感じは持ってますねぇ、うん。 』

 

このように木谷 氏は62歳で裁判所を退官し、74歳になってから弁護士として司法の場に戻り現在に至る事になりますが、言わば《 裁く側から裁かれる側へ 》とも言えますが、これはネガティブな意味では全くなく、とてもポジティブな意味合いが込められております、、、

 

では、番組からの紹介はここで終了に致しまして、出来るだけ手短に締め括ってみようと思います!(笑)