話が逸れましたが、このような木谷 氏が裁判官時代に信念としていたのが、ギリシャ神話に登場する法の女神:テミス像が象徴している裁判のあるべき姿だったそうです。
この像には目隠しがされ(先入観や偏見の排除というシンボル)、右手に掲げている天秤が公平さを表すとされているものです。
そして、番組におけるインタビューの聞き手の方が、裁判官も人間だし本当に中立の立場でしっかりと判決を下せるものだろうか、そもそもそのようなシステムはあり得るのだろうか、人間が人間を裁く事は出来るのか、裁判官はまるで権力のようなポジションにいるが本当に揺るがない信念や原理があるのだろうかとの趣旨の問いに対し、、、
木谷 氏:
『 やっぱり人間が人間を裁く以上はね、揺れたり、何かするのは当たり前なんで、そういう、それがなければ人間のやる裁判ではないんじゃないかという風に思いますけどね。
神様じゃないですよ。
少~し何か裁判官、偉そうにし過ぎているんじゃないかという気がしてしょうがないですよ。
他の裁判官を見てると。
何かね、自分は一段上にいてね、お前達、上から睥睨(へいげい:威圧するかのように睨みつける)しているような感じでしょ。
あれがね~僕は本当、好きじゃないです。
やっぱり同じ目線でいたい。 』
そして、更に木谷 氏は裁判官はもっとグラグラと揺れ動いた方が良いとの持論の説明において、、、
木谷 氏:
『 グラグラするって言うのはね、最終的な結論に到達する迄の間にね、色々迷って、ああじゃないか、やっぱりこうじゃないかと、やっぱりこうかなぁという事を散々繰り返した末にね、そして、一つの結論に到達するというのが裁判官の在り方なんで。
それを全然しないで、最初から一つの立場にね、これが絶対正しいんだと風に思い込んで、ガアーッと結論出しちゃうというのは、やっぱり人間の裁判ではないなぁというように思うんですね。 』
そして、聞き手の方が(一般の人においては)法律はとにかく白黒付けられ、刑罰もはっきりと決まっていて、スッキリする印象を持ってしまいがちだとの問いに対し、、、
木谷 氏:
『 白黒じゃないんですよ。
黒か黒でないかなんですよ。
そこを白黒付けると言っちゃうから紛らわしくなるんですよ。
guilty or not guilty なんです。
最後は証拠でね、もう犯人と断定するだけの確実な証拠があるかどうかと、それが無ければ犯人らしいと思っても not guilty ですよ。
(推定無罪と)最終的にはね。
でも、そこに行くまでは揺れますよ、凄く、うん。 』
ところで、迷いや悩みの渦中では、自己嫌悪も然り、特に自分自身に対する罪悪感を抱きがちになる傾向も高くなります。
また、黒か黒でないかという視点は「二者択一」ではありますが、その前提としての「反映」からは、
そもそもが白か黒かとの勝手な条件を自分で自分自身に設けてはいないか・・・
という点を振り返る事も役に立ちます、、、