【 「赦す」を考える 】
改めて、繰り返します!
迷いや悩みにはネガティブな側面だけではなく・・・
丁寧という側面もある!!!
そして、《 裁く 》という言葉が、目に付いた人もいるでしょう、、、
そこで、キリスト教や宗教という意味ではなく、
イエス・キリスト : 《 人を裁く勿(なか)れ 》
中国の思想家の孔子 : 《 罪を憎んで人を憎まず 》
との言葉もあります。

ただ、例えば一方的に殺傷される事件の被害者は然り、遺族等も、
絶対に赦せない!!!
というのが偽らざる心情であり、自然な感情でしょう。
故に、赦しを試す際には、犯罪等の大きな事柄ではなく、
身の周りの他者の些細な出来事を含め・・・
時には、自分を赦す!!!
という出発点から始めるのが、役立ちます!
【 「実践」出来ていれば何かが変わるはず 】
ただ、誤解をしてはいけないのが、自分を赦すとは、
免罪符ではない!!!
という事です!
つまり、
自分を振り返り・・・
自分を赦す実践が出来ていれば・・・
その後の「思い・言葉・行動」が・・・
必ず変わっている!!!
はずです!

【 雑学:真の信仰(心)とは 】
宗教(心)と信仰(心)は、
イコール(=)ではない
という視点は、見落とされがちです。
つまり、
自分が仮に神や仏のような存在だとしたら・・・
「今ここから」は・・・
どのような「思い・言葉・行動」を実践する自分で「在る」のか???
これが真の信仰(心)の意味であり・・・
「恐れ・怖れ」と「畏れ」の違いにも気づけるようになる!!!
という事です!
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・ 『 誰かや何かの為にという真の動機 ~刑法学者:團藤重光ノートから鶴の一声を考える~ 』
・ 『 急がば回れ・・・誰にでも可能な「丁寧」という視点 』
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