もう一つの顔&裏の顔はネガティブ??? ~フランケンシュタインから~

では、この番組からのご紹介はここで終了になりますが、、、と、いつものTOPICSであれば、このような流れとなり、私の勝手な講釈!?などをご紹介していく所ですが、それは最後の締め括りとさせて頂きまして、この番組では複数の専門家や研究者も出演されており、その方なりの様々な視点も紹介されておりました。

なので、ここから少し《 メアリーへの視点 》と《 作品への視点 》の幾つかをご紹介して参りますので、今回は私(瀬川)からではなく、専門家や研究者の方から学んでみて下さい(笑)
なお、ここでご紹介する内容におきましては、私なりに要約や表現を変えているものもありますし、番組内での発言と一字一句同じという訳ではありませんので、その点は事前にご了承下さい!

 

《 メアリーへの視点 》

○ メアリーの日記によると何回か亡くなった子どもの夢を見ており、その内容は「冷たくなった我が子を火の側で温めたら生き返った」とのもので、フランケンシュタインと重なる部分がある

○ メアリーという良家の子女が描いたが故に当時の社会では強い非難の眼差(まなざ)しが向けられたのではないか

○ 出産そして子育てをしながら、更に女性差別的な世界の中で作家をするという体験が物語にリアリティーを与えており、男性には描けないであろう

 

《 作品への視点 》

○ 怪物が生まれヴィクターを見つめた瞬間に、これ迄は見る対象であったものが自分(ヴィクター)と主体化(一体化)した恐怖、そしてコントロール出来ない恐怖、多くのSF映画の原点となっている

○ 美しいものを継ぎ接ぎしたにも関わらず醜い姿にヴィクターが恐れをなしたのは、生命の誕生の瞬間というものに恐れを感じたのではないか

○ 原作ではなく映画のイメージにより、機械・ロボットという象徴として描かれ、その映画での見た目から恐怖の象徴ともなっていった

 

○ 科学がそこまで(遺体を蘇らせる)進んでしまうの?という一般大衆の恐怖

○ 当時のイギリスは世界に先駆けて産業革命が発展を遂げ、テクノロジーだけが進歩を続ける中、人間の根源に対する問いや不安を抱えた時代でもあった

○ 創り出す事だけが目的となり、その後の活用法などが全く考慮されない科学(者)の責任への警鐘

 

○ この作品から感じるのは、時代がフランケンシュタインという怪物を生み出していき、その時代や社会の欲望が怪物に託されて(反映されて)いる

○ 子捨てに代表される自らで生み出したにも関わらず捨ててしまうという大きなテーマに繋がる

○ 怪物は言わば生みの親から虐待を受け捨てられたのと同じで、人々が共感や同情を抱くというとても新しく珍しい怪物像である

 

○ 怪物がヴィクターを殺さなかった理由は、怪物にとってヴィクターは親であり自分の一部だからではないか?故にヴィクターも同じ仲間としての怪物(のような心)になって欲しいとの期待があったのでは?

○ 何故、怪物は友達や仲間ではなく、伴侶としての女性を創れと言ったのだろうか?

○ 怪物が敢えてヴィクターに食べ物などを残し生かし続けさせたのは、他者がいて初めて自分が何者か分かるから