怪物:
『 こいつも俺の犠牲者なのだ、こいつが死んで、俺の犯罪は完成した。
ああ、フランケンシュタインよ、慈悲と献身に溢れた男よ!
今、お前に許しを請うて何になるというのだ? 』
、、、そして怪物は船長に、、、「誰もいない北の果てで薪(たきぎ)の山を作り体を燃やして死ぬ」と告げ、、、
怪物:
『 もはや太陽も星も見えず、風が頬をかすめるのも感じる事もない。
光も感情も感覚も消える。
数年前、世界が与えるものが目前に現れ、夏の心地よい暑さを感じ、木の葉のざわめきや鳥のさえずりを耳にした時、それらが自分にとっては全てと思えた。
あの頃だったら、死ぬとなれば泣いただろう。
だが今は死が唯一の慰めだ。 』
、、、怪物は北極の闇へと消えていきました、、、
では、小説からの物語はここで結末を迎えましたが、この番組では、
《 怪物とヴィクターは人間(私達)の表と裏ではないのか??? 》
との問い掛けもされていました、、、
ここで再び現実のメアリーに目を向けると、1823年の第2版の出版の時に初めて作者たるメアリーの名前が記され、更に1831年の第3版の序文において次の事を記します。
メアリー:
《 さてこうして、私は我が醜い子どもの幸運を祈りながら、再び世に出そうと思っている。
私が幸福な日々を送っていた頃の産物だけに、この子には愛情がある。 》
そして、1851年に53歳でメアリーは他界しました、、、
そして、この番組では、フランケンシュタインという象徴(作品)はその後も「様々な顔」を見せ続けているとの視点から、次のような分析をしておりました。
イギリスが衰退を始める1800年代後半には、怪物はイギリスから独立を目指す支配者に刃向かう恐怖の存在としてアイルランド勢力に例えられ、、、
文明世界を誇る20世紀前半のアメリカでは、怪物は恐れられながらも差別され哀れみと同情をかき立てるキャラクターとして、、、
1970年代のフェミニズム運動では、女性だからこそ描けた作品として注目されたメアリーに関する研究が進み、、、
1990年代にはクローン技術などの生命工学が発展、、、
そして現代ではAI(人工知能)技術など、、、
科学が生命を生み出す事への警鐘として、、、
、、、そのようにフランケンシュタインは語られ続けており、、、
、、、生命の謎、、、人間の心の謎が存在する限り、、、
、、、これからも「様々な顔」を見せ続けるのだ、、、
と締め括られておりました。
ちなみに、前回のTOPICSでは「マインド・コントロール(洗脳)」を取り上げましたが、そこで活用した素材は『 フランケンシュタインの誘惑 』(NHK BSプレミアム)という番組でしたが、「反映」とはこのように到る所で見つける事も出来ます(笑)