後編:コロナ禍も1年経ったが・・・ ~今後の為の振り返り(省り)~

○ 『 セルフネグレクトと憑依 』2020年11月21日掲載

《 私達「人間」という存在は、長所もあれば短所もあるという風に、「自ら」が「多様性」を「反映」している存在である 》

この番組内(「報道特集」TBS)では、《 セルフネグレクト(Selfーneglect)とは、食事や入浴などの生きる上で必要なものを怠り、自分の世話を放棄する人 》と定義されておりました。

この番組内では、セルフネグレクトにおいては次のような特徴が多い点も紹介されておりました。
それが《 (他の人や行政などからの)支援を(頑なに)固辞する 》とも。

 

《 何が「清浄」で・・・何が「不浄(不衛生など)」であるかの・・・「境界線(区別)」が次第に分からなくなっていく・・・ 》そして《 感覚が「鈍らされて」いく事により・・・「境界線(区別)」が次第に分からなくなっていき・・・所謂・・・「さじ加減(や塩梅)」が利かなくなり・・・「調和とバランス」が崩されてゆく・・・ 》という流れです。
そして《 「境界線(区別)」が次第に分からなくなり・・・「さじ加減(や塩梅)」が利かなくなって、「調和とバランス」が崩されているが故に・・・「極端」な「揺れ幅(揺さぶられ)」に「感情」と「行動」が支配されるようになり、それが「(自然で当たり前な)自分」との錯覚を起こさせる 》という面に行き着く事になります。

 

「負の憑依」の性質や特徴とは、《 (憑依という)「重なり」が「繋がり」を断ち切り、(「繋がり」を断ち切られた)「分断(分離)」を「重ねて」いき、その先に生き残れるのは、たった一人(一つ)の存在でしかなくなり、これが「孤独(感)」という錯覚を起こさせる 》という所にあります。

《 出来る範囲内で構わないので、「手間」(作為)を惜しむ事なく、「ネグレクト」(不作為)に陥る事を避け、「自分(の)事」そして「他人(の)事」の(両方の)人生を、「丁寧」に、そして、より「丁寧」に扱う(接する) 》ようにしてみて下さい。

ちなみに、世の中や社会でもよく使われている言葉ですが、憑依を端的に表している言葉の一つとして、《 「踊らされて」いる 》というのがあります。
《 一体・・・何に・・・誰に・・・何の為に・・・「踊らされて」いるのでしょうか・・・そして・・・「踊っている」のは・・・「誰」なのでしょうか・・・??? 》

 

以上のような概要です。
この回におきましても、敢えて「憑依(現象)」を活用し、そこに「セルフネグレクト」という実際に起きている社会問題を加味致しました。

そして、コロナ禍たる「今という現状」を変えたい!と思っている方々はとても多いはずです。
それなのに、何故?収束(終息)に向けてなかなかスムーズに進んで行かないのでしょうか、、、

そして、「境界線(区別)」・「さじ加減(塩梅)」・「清浄と不浄」・「調和とバランス」などの用語を活用しておりましたが、あくまで私個人と致しましては、「この先」に向けて、、、「手間(を惜しまない)」・「(より)丁寧(に)」・「自分(の)事と他人(の)事」という、少なくともこの3つの視点は、より欠かせないものになってくる、、、と感じております、、、