種を植え実(花)を結ぶ ~女性差別と司馬遼太郎 氏の義母から~

第356回:『 種を植え実(花)を結ぶ ~女性差別と司馬遼太郎 氏の義母から~ 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です!

ところで、今回は「種を植え実(花)を結ぶ ~女性差別と司馬遼太郎 氏の義母から~」というテーマをお届けして参りますが、前3回のTOPICSにおきましては、コロナ禍の1年を振り返る(省る)という趣旨で、「私(瀬川)」の言葉から多くをお伝えして参りました。
そこで今回は「ポジティブな他人任せ」とでも言えるかもしれない!?「メタファー(物語や比喩)」に重きを置き、2つの「他の人の言葉」を(多分に)活用して参りますので、どうぞ皆さんの自由な発想で様々な面に「考え」を馳せ、「視点」を柔軟に動かしてみて下さい(笑)

 

では、最初の素材は『 アナザーストーリーズ「女たちの革命 ~男女雇用機会均等法とトレンディドラマ」 』(NHK BSプレミアム)という番組からです!

現在におきましては、男女雇用機会均等法(以下、均等法と称します)という法律が存在しておりますが、この法律は1985年に制定され、1986年から施行されているものであり、この均等法は男女(特に女性)差別を無くす事を目的に作られているものです。
ちなみに、この施行された年において私は13歳であり、当時の私では全く預かり知らぬ?別世界?の如く、見聞きした記憶も関心もありませんでした(苦笑)

 

ところで、この均等法が制定される以前の、所謂、昭和時代というのは《 ガラスの天井 》という言葉に表されているように、男性は出世(昇進)出来るのに、女性はある地位まで辿り着いてしまうと、それ以上は出世(昇進)出来ないというのが実状でした。

更に、当時の多くの企業が女性社員に書かせていた念書なども存在し、例えばその念書の内容というのが、結婚したら自主退職します、35歳になったら自主退職します、などのものであり、会社でする仕事と言えばお茶くみや男性社員のお使いなどであったり、給与においても倍以上の格差があったりといったケースがとても多く、求人広告などでは容姿端麗や25歳まで(若い年齢まで)などの条件が付けられていたように、女性差別が当たり前に行われていた(横行していた)時代でした。

 

それで、この状況を改善しようと動いたのが、当時の(元)労働省婦人局長(官僚)であった赤松良子 氏でした。
では、ここからは赤松 氏のインタビューを交えご紹介して参りますが、均等法のような法律が「存在」している事と、それがちゃんと「機能(活用)」されているかは「別問題」かも!?という点も踏まえ、振り返りの小旅行に一緒に出掛けてみましょう!
なお、一部において発言の趣旨を補う為に「( )」を私の判断で付け加えている点があるのは事前にご了承頂ければと思います。

まず、この均等法の制定に向けた当時の思いを赤松 氏は次のように述べておりました。

赤松 氏:
『 女性に対する差別を無くしたいという気持ちはずっと持っていた。
  (その為に)徹底的に役に立つのは法律を作る事だと。
  でも、出来ないんだったら当分これ(女性への差別を無くす法律の制定)は駄目になるよと。
  なんとか私のやっている間にやり遂げたいと非常に強く思いました。 』

 

そのような赤松 氏は子どもの頃「女のくせに」とよくからかわれたりしていたそうで、また、成績も優秀であった姉までもが「女と見下されている」のを見て、当時から強い憤りを感じていたそうです。
そして、小学生時のクラス会で《 女よ 目覚めよ 立て 》と演説した事もあったそうです(笑)

そして、その後、1953年に(元)労働省に入省し、「女性だから」という理由のみで婦人少年局に配属されました。
ここでは、同期の男性は2~3年で他の部署に異動していきますが、赤松 氏だけは同じ仕事をやらされ続け不満が沸き上がっていきました。
それについて、次のように述べております。