種を植え実(花)を結ぶ ~女性差別と司馬遼太郎 氏の義母から~

第356回:『 種を植え実(花)を結ぶ ~女性差別と司馬遼太郎 氏の義母から~ 』

【 その他参照ワード:赤松良子、男女雇用機会均等法、ガラスの天井 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

直近3回のTOPICSはコロナ禍の1年を振り返る(省る)趣旨で、「私(瀬川)」の言葉を多く伝えました(笑)

故に、今回は「メタファー(物語や比喩・暗喩)」として、2人の「他者の言葉」を眺めます!

 

そして、あなたの自由な発想から、様々な面に「考え」を馳せ、「視点」を柔軟に動かして下さい(笑)

 

 

では、番組『 アナザーストーリーズ 』(NHK BSプレミアム)から「 女たちの革命 ~男女雇用機会均等法とトレンディドラマ 」の回を少し眺めます!

 

【 ガラスの天井と男女雇用機会均等法 】

現在では、男女雇用機会均等法(以下、均等法)が存在しています。

均等法は1985年に制定され、1986年から施行されています。

そして、

 

男女(特に女性)差別を無くす!!!

 

という事を目的にしています!

 

ところで、均等法が制定される以前の昭和時代では、

 

《 ガラスの天井 》と言われる・・・

男性は、際限なく出世(昇進)出来る一方・・・

女性は、ある地位まで辿り着くと・・・

それ以上は出世(昇進)出来ない・・・

 

という数多くの実状がありました。

 

 

更に、当時の多くの企業では、女性社員のみに念書を書かせていました。

例えば、その内容の一部には、

 

結婚したら、自主退職します

35歳になったら、自主退職します

 

などがありました。

そして、仕事面でもお茶くみや男性社員の下働きなどが主流でした。

しかも、給与では男性と比較し、倍以上の格差があるのも常でした。

 

更に、求人広告では容姿端麗、あるいは、25歳まで(若い年齢まで)などの、

 

仕事とは全く関係の無い条件が付され・・・

女性差別が、当たり前、かつ、公然に行われた(横行した)時代・・・

 

でした、、、

 

 

【 赤松良子 氏の奮闘 】

女性を取り巻く仕事環境を改善すべく動いたのが、当時(元)労働省婦人局長(官僚)だった赤松良子 氏です!

そこで、ここから赤松 氏のインタビューを交え、進めます!

そして、

 

均等法が「存在」している事と・・・

ちゃんと「機能(活用)」しているかは「別問題」・・・

 

という視点も、併せて考えて下さい!

なお、赤松 氏の発言の趣旨を補う為に、「( )」を私の判断で付加していますので、事前に了承下さい。

 

では、まず最初に、均等法の制定に向けた「当時の思い」を、赤松 氏は次の通り話します、、、

 

赤松 氏:
『 女性に対する差別を無くしたいという気持ちはずっと持っていた。 (その為に)徹底的に役に立つのは法律を作る事だと。 でも、出来ないんだったら当分これ(女性の差別を無くす法律の制定)は駄目になるよと。 なんとか私のやっている間にやり遂げたいと非常に強く思いました。 』

 

 

ところで、赤松 氏は子どもの頃「女のくせに」と、よくからかわれました。

また、姉も成績優秀であるにも関わらず、女だからと「見下されている」のを見て、当時から強い憤りを感じていました。

そして、小学生時のクラス会で《  女よ  目覚めよ  立て  》と演説した事もありました(笑)

 

そして、1953年に(元)労働省に入省し、「女性だから」という理由のみで、婦人少年局に配属されました。

すると、同期の男性は2~3年で他の部署に異動する一方、赤松 氏だけは同じ仕事をやらされ続け、不満が沸き上がっていきました。

それについて、次の通り話します、、、

 

赤松 氏:
『 これはおかしいんじゃないと思ってね、省全体の人事をやっている所へ押しかけて行ったのね。 「 女性だからって特別にここだけなんていう仕事のさせ方じゃなく、色んな仕事や経験を積ませて欲しい 」と言いに行ったんですよ。 でも、なかなか実現しなくてね。

  《 女性の差別を無くそう 》というのが(自分が配属された部署の)仕事なんだから、内部でそんな差別があったらおかしいんだけど、それだってやっぱりあるんですからね。 なんとかそれを無くしたい、腹が立つ! 

 

 

そして、当時の世の中や社会では、《 男は仕事 女は家庭 》という社会通念が蔓延していた事に対し、次の通り話します、、、

 

赤松 氏:
『 結婚して新婚旅行なんか済ませて、ホイホイ帰ってきたら、もう椅子も机も無かった。 理屈もヘチマも何にも無いのに、結婚したら女は働かないとなる。 それはちょっとひどいじゃないって、結婚したからってどうして辞めなきゃいけないの? 』

 

そこで、1967年に官僚(役人)ではタブー(禁忌事項)とされていた、結婚退職制に関する論文をペンネームで発表しました!!!

すると、上司から怒られました。

しかし、以下の思いで論文を発表しました、、、

 

赤松 氏:
『 当時の法律や社会制度ってものが女を下に見てるんだ。 きちんとした法律を作って、女性の差別を無くす為に働きましょう! 』