後編:コロナ禍も1年経ったが・・・ ~今後の為の振り返り(省り)~

○ 『 私の入院体験からのお裾分け(笑) ~パート1~ 』2020年10月31日掲載

《 もし仮に「体験する出来事」から学ぶべきものや気づくべき点などがあるとしたら、「その時」は学べずに気づけなくとも、「後に」学びになり気づける事も多々あり、そうであるならば、「他の人の体験」から「想像力」を活用して学び気づく事が出来れば、「あなた」は同じような体験をしなくて済む(かもしれない)・・・ 》

 

いよいよこれから(自然気胸という病気での)手術室に向かうという段になって、「タイミング」の良さ?悪さ?的な感じで、高校のクラスメートがお見舞いに来てくれました。
よりによって、一番見られたくない姿の時に(笑)
そして、この時、クラスメートと接して痛烈に感じたのが《 社会との接点(交流)が出来ている事による、そこから生み出されている「香り(外気)」 》です、、、

 

ストレッチャーに仰向けに寝かせられて手術室に向かったのですが、見えるのは電灯の明かりと、電灯の無い所の暗さの繰り返しで、右も左も方向感覚もなく、この時を振り返り、やはり一番思う所が、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております《 人それぞれ・・・見ている景色は違う・・・ 》というものです。

無事に手術は終わり、病室に戻れる事となりました。
意識が戻るにつれ、痛みなども確かに苦しかったのは憶えておりますが、何より、先ほどの尿道へ入れられている管の痛みと違和感、更に、鼻から胃に入れられたチューブにより、《 「当たり前」に言葉を発する(表現する)事の出来ない辛さ・・・ 》がありました。

 

肺に挿入されていた管(ドレーン)も抜け、安静が必要とは言え、ベッドに寝ていなければならない状態ではなくなりました。
そして、少し「身動き」が出来る状態になった私は《 トイレに行き、その窓から(頻繁に)「外の景色」を眺めていた・・・ 》のは今でも実感として「色濃く」残っております。
そこには《 当たり前に「活動(表現)」出来る事の・・・幸せ・・・ 》を感じていたとも言えるかもしれません。
これが先ほどの「香り(外気)」と「繋がって」「重なって」もおります。

 

以上のような概要です。
私達の誰もが「自ら一人だけ」で全ての経験をする事も出来ませんし、その必要性もありません。
なぜなら、「想像力(共感なども含め)」を活用する事により「お互いに補い合う」事が出来るからです。

そして、良きにせよ悪しきにせよ、私達の誰もが「自らする経験(しないという経験も含め)」というのは、「確率や統計等」に左右されるものではなく、「100%」か「0%」のどちらかでしかありません

そして、ここでの経験には、先ほどの『 《 当たり前に「活動(表現)」出来る事の・・・幸せ・・・ 》 』も含まれております。

この世の中で「永遠不変」なもの、、、それが、、、物事は絶えず変化する(変化し続ける)、、、というものです、、、