後編:コロナ禍も1年経ったが・・・ ~今後の為の振り返り(省り)~

○ 『 私の入院体験からのお裾分け(笑) ~パート2~ 』2020年11月7日掲載

(私が野球のピッチャーをしていて投球骨折をしてしまった体験からの)野球場から救急車で搬送され、その翌日に飛行機で青森に戻り、診察を受けて入院・手術と段取りが運んでいきました。
そして、診察をしてくれた整形外科の先生が『 この先に野球は出来ないと思うよ 』とおっしゃいました。
まぁ、サークルでのお遊び野球でしたので、その一言に落胆などは受けませんでしたが、完治した後は打つ方のバッターとして楽しんでました。
ただ《 小さい頃に野球の「楽しみ」を覚えた、キャッチボールが出来ない 》という点に関しましては、《 「他の人」がキャッチボールをしている「姿」を見ると・・・「羨ましい」!!! 》と「今」でも思います!!!

 

先ほどの整形外科の先生の言葉には、『 体育会系のような本格的な野球は・・・ 』という意味(前提や条件)も込められていたと感じますが、《 「体(骨折箇所)」が悪いのではなく、「怖れ」という「感情」が、キャッチボール(という動作や「行動」)を出来なくさせている 》のが、私の「心の中の真実」です。
このような《 「感情」が邪魔をして「行動」に移させない 》というケースは、これも多くの方に程度の差はあれ、当てはまる事のようにも感じます。

 

「失って初めて分かる」というケースもある事でしょうが、《 失う一方で・・・得るものもある・・・ 》というのも、骨折が今回のTOPICSの一つの素材として活用されている事の「現れ」かもしれません。

前回のTOPICSで既にご紹介致しました通り、手術の準備に当たって、今回も体と男性器の周りの毛を剃る作業を行い、ここで前回の手術体験とは違った展開!?が生まれました!
それは、尿道へ管を入れる作業に関して、《 「手術前」と「手術中」のどちらがいいですか?という「選択肢」を与えられた!!! 》そして《 前回の(自然気胸による)手術「体験」から「学習」をした私は、「手術中」にお願いします!!! 》との二つ返事でした。
これも「学習」と言えるほどの大げさな事ではありませんが、ただ、《 知った(体験した)事により「回避」出来る事もある!!! 》というのも真実です。

 

(骨折した腕の)リハビリを続けている内に、徐々に可動範囲も「広まって」いき、それと同時に筋トレのように鍛える面も加味される事によって「力強さ」も増していきました。
そして、このような「体のリハビリ」におきましては、《 「当たり前(に出来た頃の状態)」に戻す事のしんどさと辛さ・・・ 》という側面を感じたのは私も否めません。

リハビリ生活も春頃に終わりを迎えたのですが、私の腕にはボルトが入ったままでした。
そこで、その骨折から約1年後のその年の8月に、ボルトを抜く再手術を行う事になりました。
しかし、私には、その再手術までの期間、《 憂鬱で、憂鬱で、憂鬱で・・・しょうが無かった・・・ 》というのが本音です。
勿論、医師からは『 年齢も若いのだし、問題は無いとは言え、やはり異物を体に入れて置かない方が望ましいと思うよ 』との説明も受け、その事も「頭」では十二分に理解出来てはいるのですが、《 「気持ち」において・・・再手術に向けての「モチベーション(動機)」を・・・なかなか見つけ出す事が出来なかった・・・ 》という状態でした。
なぜなら、キツいリハビリを経て、《 何とか「当たり前(に近い)」状態に戻す事が出来たにも関わらず・・・短期間とは言え・・・(再手術を行う事による)幾分かの「不自由さ(当たり前ではない状態)」を・・・「再体験」しなければならない・・・ 》からです。

 

この三度の入院体験において、私の母は、ほぼ毎日、着替えや、食べたいものや、雑誌なども持って来てくれました。
そして、その母は2012年の3月に他界しましたが、《 私は・・・母に感謝の「思い」や「言葉」を・・・伝えていなかった(「行動」で現せていなかった)・・・ 》というのが、ある意味では悔やまれる思いを持っております。

「今」のコロナ禍という状況におきましては、《 「今までは」当たり前に出来ていた事が・・・「今では」当たり前に出来なくなっている・・・ 》のも「事実」です、、、
そして、これらの傾向はコロナ(禍)に限らず、「他の様々な面」にも既に「現れつつ」あります、、、

 

以上のような概要です。
何度も繰り返される時短要請や休業要請等も含め、その業界の方々に限らず、多くの人におきましても心が折れてしまう(折れてしまいそうになる)と感じていらっしゃるのが「今という現状」です。

そして、現在の第4波とも言われ、年齢に限らず感染力も重症化率も高くなる可能性があるとも言われている変異株、そして、もう1年以上も極度の緊張と怖れの中で懸命に尽力して下さっている医療従事者等の方々、更に、入院出来ないどころか、全くの治療すら受けられない方々や、残念ながらお亡くなりになられる方々の増加、これらの事だけからでも、私達に出来る事は「自ずと」判明してくるのではないのでしょうか、、、

そして、私達の多くが感じている「怖れ(という感情)」は新型コロナウイルスに向けてのものも勿論ある事でしょうが、本当にそれだけなのでしょうか、、、他に「真に怖れているもの」は何なのでしょうか、、、そして、そのような「真に怖れているもの」に対して解決法や代替案などは、、、本当に「存在」していないのでしょうか、、、