考え過ぎは(心と体に)毒なのか??? ~やってる感を拭い去り自己承認欲求を活用する~

「自分を知る」事に怖れを抱えているが故に・・・

「他者承認欲求」に偏り過ぎる傾向が出やすくなる

 

という面が強化されている反面、

 

意図してコミュニケーションの欠如(拒否)を創り出しているが故に・・・

その「他者承認欲求」すらも充足させる事が出来ない

 

という「自己矛盾」に陥っている事に「気づけていない」が故の「混乱や葛藤(心の叫び)」になっており、繰り返しですが、やはり、「そのような(気づけていない)自分を知るのも怖い」という、これも「堂々巡り」とも言えます。

では、ここ迄の内容を簡潔に整理致しますが、1つ目のケースでは「自分(の)事」や「自己承認欲求」という視点の活用、2つ目のケースでは「他人(の)事」や「他者承認欲求」という視点の活用になり、この二つのケースの「繋がり」と「重なり」に意識を向けると、より「課題の分離」がしやすくなっていくようになります!
なぜなら、

 

「分離」させる為には・・・

その前に「統合(融合)」を構成している・・・

「各々」を見つけ出す事が必要(効果的)

 

であるからです。
では、ここでも少し視点を変えまして、考え過ぎなのでは???という現象から、もしかしたら「ノイローゼ」という言葉を思い浮かべる方も多いかもしれません。
そして、これに関しては、先ほどの「潜在意識」と「心と体の繋がり」が活用される場面になります!

では、このTOPICSでも何度もお伝えしております「潜在意識」の働きの大原則と致しまして、

 

潜在意識は「イメージ(や想像)」と「現実」とを区別出来ない

 

というものがあります。
これは、表現を変えると、

 

潜在意識は「イメージ(や想像)」したものを「現実」と捉えている

 

という事です。
故に、これも今までお伝えしておりますレモンや梅干しをイメージしただけで唾液が出たり、口の中が酸っぱくなるなどの、「心と体の繋がり」の一つの例になります(笑)

では、この「潜在意識」の働きを、考え過ぎ???に当てはめてみます。
そして、その前に、もう一つの大前提をお伝え致します!
それは、

 

私達が何かを「考えて」いる時には・・・

「言葉(や字)」だけではなく・・・

必ず「イメージ(や想像)」も自然(無意識や無自覚)に活用している

 

とのものです。
「考える」と言いますと、よく理路整然ではない、理屈に合わない、辻褄(つじつま)が合わないなどに目を向けがちですが、この際には「過去の光景や記憶(経験)」なども必ず含まれ活用されています。
しかも、この際に、そのほとんどが私達の「顕在意識」では認識できずに無意識や無自覚(そのくらい自然な流れ)で行われています。
そして、先ほどからの「潜在意識」は「イメージ(や想像)」と「現実」とを区別出来ないという働きから、

 

私達が「考えて」いるという作業そのものを・・・

「潜在意識」は「現実」における「行動」と捉えている為に・・・

体への疲労感などとして感じやすくなってしまう・・・

 

という「心と体の繋がり」が「反映」されてきます。
しかし、