「100年に一度・・・」は暗示??? ~ドラキュラ伯爵からの伝言???(笑)~

2012年に東ヨーロッパのブルガリアにあるソゾポルという港町の墓地の遺跡から、心臓に鉄の杭らしきものが打たれた遺体が発見されました。
調査の結果、その遺体は14世紀頃の50~60代の男性と判明しました。

では、国を飛び越えまして、チェコのチェスキー・クルムロフという町にある18世紀の墓地遺跡から、両足の間に頭蓋骨がある遺体が発見されました。
これは意図して頭部を胴体から切り離したものである事も判明しました。
当時のこの地域では、遺体損壊は「タブー(禁忌)」(という風潮)であったにも関わらず、、、

ここ迄で少しは涼しく感じてきましたでしょうか?(笑)
では、ここからは更に時代を遡った旅に出て参りましょう!

 

1725年のオーストリアのウィーンに、原因不明の連続怪死事件の知らせが届けられました。
その事件の現場はウィーンから約700㎞離れたセルビアのキソロヴァという所でした。
記録によると、8日間で9人が謎の死を遂げたとの事ですが、その全員が死の間際に同じ証言をしていました。
それが、

 

『 10週前に死んだ男に首を絞められた 』

 

と、、、
この事から、バンパイアの仕業では!?との恐怖がウィーン周辺の国々も含め、人々の間に広まっていきます、、、

 

ところで、現在のドイツのミュンヘンにあるバイエルン州立図書館には、当時のセルビア駐留軍医が上層部に宛てた報告書『バンパイアと呼ばれるものについて』が所蔵されています。
この報告書では、セルビアのメドヴェギアという所で、1726年頃に村人4人が原因不明で死亡し、ここでも全員が死の間際に、

 

『 約1ケ月前に荷馬車の事故で急死した男に襲われた 』

 

と証言したと報告されていました。
そして、村人達がこの男の墓を掘り返した様子が、次のように報告書に書かれていました。

 

『 村人達の証言によると、死体は完全で全く損傷が無く、目・鼻・口・耳からは新鮮な血が流れており、手足の古い爪は剥がれ落ち、新しいものが生えてきていた。 』

 

と、、、
そこで村人達はこの男の遺体の心臓に杭を打ち込んだところ、この遺体の男が何かを叫んだように感じ、死を遂げた他の4人の遺体にも同じように杭を打ち込み、更にこの男と共に遺体を火で燃やし、そして灰にして、安心を得た次第でした。

、、、が、しかし、その後も3ケ月で17人もの死者が出てしまいました、、、

これについて先の報告書では、

 

『 村人達は騒いでいた。
  (バンパイアとみなされた)その男は人間だけではなく、家畜も襲って血を吸っていたのだ。
  その家畜の肉を食べた者がバンパイアになって、再びバンパイアを増やしているのだ。 』

 

と、、、
そこで村人達はバンパイアの疑いのある全ての遺体に杭を打ち込み、更に頭部を切り落とし、遺体を焼き、その灰を川に流し去ったそうです。

この18世紀前半のセルビアで起こった2件の事件の報告が、バンパイアという存在すら知らなかったヨーロッパ中西部の人々へ大きな衝撃を与えていきました
そして、このような恐怖の拡大について、バンパイア研究者であるペーター・マリオ・クロイター博士は次のように分析しておりました。

 

クロイター博士:
『 セルビアの事件は道端で配られる新聞などの出版物によって広まり、これによりバンパイアの概念がヨーロッパ各地に知れ渡るようになりました。
  ここで重要な点は、哲学者・医学者・神学者の間で行われた議論です。
  哲学者はバンパイアを撲滅すべき迷信と考え、医学者も信じなかった
  しかし、神学者達は“悪魔の仕業かも”と捉え、否定しなかったのです。 』

 

では、ここ迄におきまして、皆さんはバンパイア・吸血鬼・ドラキュラ伯爵という存在をどのように捉えているでしょうか???
実在するのか、、、実在しないのか、、、???(笑)

では、現代の(現実的な)視点に転換してみます!