コロナ禍の(お盆時期の)供養から「今」を考える ~魂の視点も含め~

第317回:『 コロナ禍の(お盆時期の)供養から「今」を考える ~魂の視点も含め~ 』

【 その他参照ワード:新型コロナウイルス、スピリチュアル 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

お盆休みの時期とは言え、新型コロナウイルスの影響により、帰省や墓参りなども含め、様々な事がままならない状況にある人がとても多い事でしょう。

私も例年であれば、夏に開催しているクラス会や同窓会も出来ない状況です。

また、3月中旬から飲み会の自粛も続き、前回のTOPICSパンドラの箱のように、

 

開けてはいけない! やってはいけない! と言われると・・・

ストレスを感じてしまう!!!

 

というのも、多くの人に当てはまるでしょう(笑)

 

 

【 コロナ禍と普段の供養の違い 】

今回のテーマにコロナ禍の(お盆時期の)供養」と銘打っているものの、

 

供養の「本質」は・・・

コロナ禍でも普段でも変わらない!!!

 

というのが事実であり真実です!

 

ただ、同じく前回のTOPICSで『 「今」しか見られない景色というものがあり 』とコメントしている通り、

 

「今」しか伝えられないと言うより・・・

「今」だと伝わりやすい(かもしれない)!!!

 

という点にポイントを置いて進めます!

 

 

繰り返しですが、供養の「本質」は同じという大前提の元で、コロナ禍と普段の供養の違いを眺めます!

 

まず、普段の供養では、

 

「(故人への)想い」 → 「行動(作為)」 → 「言葉」 → 「(自分の)思い」

 

という流れ(ケース)が多くなります。

 

一方、コロナ禍の供養では、

 

「(故人への)想い」 → 「行動(不作為)」 → 「言葉」 → 「(自分の)思い」

 

という流れ(ケース)が多くなります。

 

つまり、両者の違いは、

 

「作為」という行動と、「不作為」という行動

 

に見て取れます。

 

 

この違いとは、

 

普段の供養では、墓参りなどの「作為(行動)」になり・・・

コロナ禍の供養では、自粛などの「不作為(行動)」になる・・・

 

という事です。

 

【 問われる全ては「今」にある 】

前々回のTOPICS「後半:「過去」のTOPICSを「繋げて」「重ねて」、そして「未来」を「創造」してみる」では、

 

「今」とは、「過去」からの「何か」が「反映(創造)」されていて・・・

「未来」とは、「今」からの「何か」が「反映(創造)」される・・・ 

 

とコメントしました、、、

 

 

現在の新型コロナウイルスでは、自粛などの「不作為」という行動が現れている(そうせざるを得なくなっている)のも、

 

「過去」からの「何か」が理由(原因)となっていて・・・

「未来」では、その「何か」をどうするのか(どのようにしていきたいのか)???

その「何か」が「今」問われている(全てが「今」に掛かっている)!!!

 

という魂の視点が成り立ちます!