志村けん さんに学ぶ「志」 ~感謝と追悼、そして、その先へ~

では、最後は「進歩や発展」についてです。

P:「 志村さんの最終形っていうヴィジョンはありますか? (自分達には)もうこれ以上ないだろうなっていう目標を叶えてしまった時の不安感(があるんだけど)というか?

志:「 でも、今までやってきた事が、逆に、自信になってきているでしょ。
    もの凄い大きな自信になってきているから、そうなってから、今度、急に、そんなステップアップは出来ないよね。
    する必要もないし。

    あとは、それをどう維持するか、、、チョットでもいいから、右肩上がりで、薄くてもいいから、と(自分は)思うんだよね。
    (中略)
    チョットでもいいから、チョットでも、1㎜でいいから右肩上がっていけばいいっていう気持ちくらいの、ゆとりを持ってやった方がいいと思うよ。

    あのぉ~ 勢いでやっている時よりも、何か、う~ん!?っていう、チョット深みがあるっぽいものが、出来る気がするよね。

    そういったものを、(更に)重ねて、、、

 

意外!?に思われるかもしれませんが、私達が何か新しい事を始めようと考える時、あるいは、何かを変えてみようと思う時、「二の足を踏ませる」一つとして、「最終形(という完璧さ)」に辿り着いてしまったら、自分はどうなってしまうんだろう???という「怖れ」を抱えている事が、かなり多くのケースで見受けられます。
しかし、そのような事(そのような「完璧」という境地に至る事)は(この世で生きている限りでは)「不可能」でありますので、安心して下さい(笑)

ただ、いつまでも過去のバブルの幻影を追い求め、ひたすら経済のみを右肩上がりに出来る訳でないのは、もう周知の通りです。
これは志村さんのコメントをお借りすると『 あのぉ~ 勢いでやっている時よりも 』という表現に当てはまるようにも感じますし、また、私達は「成長し続ける」という意味合いには、 『 チョットでもいいから、チョットでも、1㎜でいいから右肩上がっていけばいいっていう気持ちくらいの、ゆとりを持ってやった方がいいと思うよ。』における「ゆとり」が必要であるのと、実は、その先の右肩上がりの真意は『 何か、う~ん!?っていう、チョット深みがあるっぽいものが、出来る気がするよね。』のように「深み」というものに「答え(という繋がり)」を見出しているようにも感じます。

なぜなら、『 そういったものを、(更に)重ねて、、、 』のコメントにあるように、「線」のように現す事が出来ないのが「深み」でもあり、「深み」を現す事が出来るのは「重ねて」という事だからです、、、更に、『 薄くてもいいから 』というコメントにも如実?に現れているようにも感じます(笑)