魂の視点に「余生」はありません(笑) ~来世への準備や下調べの期間としての今~

そして、これこそ、今までのように、「一般的」で「普通」に「余生」を穏やかに過ごすなどのようなイメージや連想をされてきたものが、「働かざる者食うべからず」の言葉のような「冷笑」という風潮を、先ほどの、人生100年時代や、幾つになっても輝ける時代などの言葉に、

 

すり替えている

 

という「カラクリ」が仕組まれている事に、早く「気づく」必要性があるかと感じています。

勿論、「生き甲斐」などを感じて、幾つになっても働きたい!というのも素敵な事ですし、私はそれを否定や非難をしようと思っている訳では全くありません!
あの世に戻る直前までパワフルに働いていても全く良いのです!、、、ただし、「生き甲斐」などの「思い」が「本心」であればですが(笑)

また、「働かざる者食うべからず」とは、「怠惰」を戒める教訓であって、様々なご事情やお体の不調などで働きたくても働けないなどの方々を指している言葉では決してございませんので、誤解の無きようお願い申し上げます!

 

そして、これも正直に告白致しますが、今回のここ迄の内容も、実は、、、あるテーマとの「繋がり」を目的としてお伝えして来ておりますが、それは、最後にコメント致しますので(笑)

故に、今回はここ迄において、何か、モヤッ~とするような感じの、分かり辛さを「敢えて」活用して、少し頭を揉みほぐす?ような感じも込めておりますので、そのように、何を伝えたいのだろう?と思った方々も、充分にそれで付いて来て頂けている証ですので、どうぞご安心下さい!

 

では、今回は魂の視点としても銘打っておりますので、締め括りとして、「余生」に関して、私からの一つの魂の視点を少しだけご提案して参ります!

それは、ここでも「敢えて」、「余生」というものを「一般的」に「普通」に捉えた場合に、

 

「余生」というものを・・・

「来世」への・・・

準備や下調べの期間として活用する!

 

というものです(笑)
おそらく、ほとんどの人が、他にやりたい事があった、、、別の人生も歩んでみたかった、、、可能であるならば憧れの職業や仕事に就きたかった、、、などの、様々な「思い」がある事と感じます。
中には、ご夫婦であれば、「選択と決断」を誤ったかな?などの「思い」を抱かれる方もいらっしゃかるかもしれません(笑)

そして、このような準備や下調べというのは、最初の、

 

魂(心や意識や精神)は・・・消滅しない・・・という魂の視点からは・・・

必ずや「来世」における・・・

血や肉となる(実となる)!

 

とも表現出来ます。
なお、だからと言って、「余生」において準備や下調べをした事柄を、「来世」で必ず「行動」しなければならない!というものでは決してありません。
それこそ、「選択と決断」という自由は、誰しもが自らで所有しているものだからです(笑)

そして、このような視点を更に発展させると、