ここ迄で見てきたように、
人生において・・・
「本末転倒」のような・・・
「本(過去)」と「末(未来)」という捉え方をしてみた時に・・・
本当に「余生」と呼べる「生」は・・・
存在しているのでしょうか・・・
という問い掛けです。
なお、ここで正直に告白致しますが、今回のここ迄における「本末転倒」の活用法は「誤用(に近い)」ものであります(笑)
「本末転倒」の本来の意味は「物事の根本的に大切な事と、そうではない瑣末(さまつ)な事を取り違える事」であり、似たように感じる表現としての「主客転倒」は「物事の大小・軽重などを取り違える事」となっておりますが、国語の授業ではありませんし、今回は感覚として捉えて頂ければ、それで充分ですので!
そして、もうお分かりかもしれませんが、「余生」をどのように捉えようと、そこに正解や答えもありませんし、どのように解釈するのも全くの自由です!
そして、ここ迄において、ある意味での「一般的」あるいは「普通」に、文字通りとしての、
「余生」と捉えたとしても・・・
「今が大切」であり・・・
「大切なのは今」であり・・・
と私がお伝えしようと感じている方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、、、今回のテーマの本当の趣旨はそうではありません(笑)
それは、
「今が大切」であり、「大切なのは今」であるのはその通りですが・・・
現在の「冷笑」の現れとしては・・・
「今だけ(自分だけ)」良ければ・・・
それで構わない!
というのが、最大の原因でもあり理由となっています。
そして、このような捉え方というのは、
「重なり」を見失ってしまったが故の・・・
「二者択一」に陥ってしまった結果・・・
というのが、残念ながら現在の世の中や社会の「真の姿」となってしまっています。
これが、よく言われ、現れてしまっている、
「格差」の正体
でもあります。
また、
多様性(を尊重する)と「口(という言葉)」では言いながらも・・・
グラデーション(濃淡)を認めない・・・
そのようにさせているのが・・・
「冷笑」でもあり・・・
これが・・・
「真の動機」という「思い」における・・・
「詭弁や嘘」となって・・・現れている
というのが、前回、前々回のTOPICSでもお伝えしてきた事でもあります。