魂の視点に「余生」はありません(笑) ~来世への準備や下調べの期間としての今~

ところで、先日、ヒプノ講座の卒業生の方とお店で飲食をしていました。
そして、そのお店でオーダーや給仕をしてくれていた方は、年配の女性の人でした。
すると後日、その卒業生の方が教えてくれたのが、その年配の女性の人は、卒業生の方の勤務先と関係のある所でも働いており、その卒業生の方は「年配の方のダブルワークに出逢うと、私も頑張ろう!って思える」とお話されておりました(笑)
確かに、

 

自らの「生き甲斐」という表現が・・・

ダブルワークに限らず、何にしても・・・

「行動」に繋がっているというのは・・・

とても素敵で素晴らしい事!

 

であるのも真実です(笑)
では、またまた、ところでですが、近頃では人生100年時代や、幾つになっても輝ける時代などのキャッチコピーやフレーズを多くの場面で見かけることが増えております。

勿論、これも心の底から「生き甲斐」として感じているという事であれば、繰り返しですが、それはとても素敵な事ではあるのですが、

 

四の五の言う「暇」もなく・・・

ダブルワークにせよ、何にせよ・・・

「働かなければならない(生きていけない)」と感じた上での「行動」に繋がっているとすれば・・・

それは・・・

この国の(政策や制度の)・・・

「冷笑」の現れではないのだろうか・・・

 

という捉え方が、正直に申しまして、多くの方々に当てはまっているのが現状である事と感じます(苦笑)
どうでしょうか、、、「余生」と「本末転倒」の繋がりが、、、そろそろ垣間見えて来ている頃合いでしょうか?(笑)

そして、これもTOPICSで繰り返しお伝えしております通り、

 

「過去」というのは・・・

それを「今」想い出し、味わっている(感じている)ものであり・・・

「未来」というのは・・・

どこまで行っても「今」でしかない(感じられない)・・・

 

ものであります。
では、ここで、ある意味では意地悪?な問い掛けをしてみます(笑)