魂の視点に「余生」はありません(笑) ~来世への準備や下調べの期間としての今~

「余生」という言葉の響きに・・・

「余暇」という連想やイメージを・・・

当てはめてはいませんか・・・???

 

という問い掛けにもなっております(笑)
つまり、少しフランクな表現を用いますと、

 

「暇」を持て余すという事と・・・

「人生(という生命活動)」を持て余すという事を・・・

取り違えて(混同して)はいないだろうか・・・???

 

とも言えるかもしれません(笑)
では、特に、ここ十数年においては、(少子)高齢化社会と言われるように、団塊の世代の方々が会社を定年退職したり、あるいは、良い意味での古風な表現では隠居などのように、人生における変化を体感されている方々も多くなってきております。

 

このような傾向に擬(なぞら)えて?かは分かりませんが、このTOPICSでも取り上げてきました、「断捨離」や「終活」や「生前葬」や「墓終(じま)い」という言葉も、よく耳にする機会も増えて来たのは皆さんもご存じの通りかと思います。

それこそ、一昔前においてであれば、このような「言葉」や「考え」を持つという事は、「不吉」や「不謹慎」と言われていた風潮もありました(笑)

ただ、これこそ「笑い話」では済まされないような、高齢者の方の「自殺」が増加した時期とも「重なり」ますし、「今、現在」においても人生を模索されている方々も数多くいらっしゃるかと思います。

 

そして、このような人生模様を描いた小説やドラマや映画なども数多く存在しておりますが、私も先日、舘ひろし さん主演の「終わった人」という映画を観ておりました。

これは、定年退職を迎えた主人公が、家族などから、これから先は、好きに自由にしていいよ!と言われはするものの、何をしていいのか分からず、戸惑いや困惑、右往左往している中で、恋や再就職や卒婚などの人生の変化をコメディー風に描いている内容でもあります。

 

では、ここからは「一見」すると、話題が転換?しているように感じてくるかもしれませんが、先に続けて参ります!