個々(人)で区分けして判断していくよりは・・・
「重なっている点」における「影の濃淡の度合い」を読み取る・・・
方が近づきやすくなるように感じます。
つまり、関係している方々の多くは、
「グレー(灰色)」という層に存在はしているが・・・
それぞれの立場や関与の度合いの違いにより・・・
それぞれの「影の濃淡」に違いが必ず生じている・・・
という捉え方です。
そして、
この「影の濃淡」を炙り出す事が出来るのは「光」
であるという事です。
しかし、残念ながら今の現状では、
この「光」が見い出せずにいると共に・・・
「光」の当て方の「角度」に工夫を凝らすという視点が少し欠けている・・・
ようにも感じます。
そして、度合いにもよりますが、関与している方々にはそれ相応の「責任」が伴うのも事実ですが、実はこの「光」という意味の中には、
「赦(ゆる)す」という側面をどのように活用していくのか?
という面が含まれています。
確かに「赦す」前には真相を解明し、「責任」の所在を確かなものとする事も大切ですし有効であるとも思います。
ただ、今回の出来事が行われた経緯や、仮にそれが誰にも見つからずに完遂された結果を見通した時に、
そもそも(多くの関係者の中において)メリットを感じている人は、かなり限られているのでは?
と多くの人が思っている点もある事と思います。
そこで、関係している方々の多くが、自分には何のメリットも感じていない・・・という人に対して、
「赦す」という「光」を当てる事で・・・真相(「真の影」)が炙り出される
という方向性もあるのでは?と感じたりもします。
勿論、その際には関与の度合いによっては処分なども行われる事は致し方ない面もありますが、
同じ事を繰り返さない為に・・・「赦す」という点も考慮に入れつつ・・・
という観点も必要になろうかとも思います。
そして、
この「光」を持っているのは・・・私やあなた(という国民)なのでは?
とも感じています(笑)
つまり、
「赦し」という「光」を当てる事で、「影の濃淡」の度合いの違いが次第に見えてきます・・・
そして、
「赦し」という「光」を当てられた事で、「影の淡い」部分が次第に消えつつ、自らが「光」を発し始めます・・・
すると、
「最も濃い影」が自然と炙り出されていく・・・
敢えて抽象的な表現を用いましたが、これは、あなたの周りに似たような出来事が起こった時や、あなた自身の内面にも活用出来るものです(笑)
そのような際は、「光 = 自分の正直な気持ち・本当に大切なこと」などに置き換えてみて下さい。
そして、あくまで私自身が感じる事ですが、この出来事の本質は、既に「忖度(そんたく)」の枠外を超えているものであるにも関わらず、それを「忖度」という枠内で考えようとしている所が「真相解明」をさらに遠ざけているようにも感じます・・・
では、ここからは少し視点を飛躍させてみます!
皆さんも次のような言葉を聞いた事はありませんでしょうか?