改めて:自分のした事は自分に反ってくる ~無関心という共依存&赦しという光~ 

では、1つ目は、2017年12月23日のTOPICS「2017年の「乱れ」の根本にあるのは・・・」からです。

 

 『 私自身は「今」に繋がる「乱れ」は、ここ3~4年程から特に強まっているように感じます 』

〇 『 現在の「乱れ」の表層を覆っているもの、つまり、「乱れ」の根本ではないが、既に現象・事象として現れているもの、それは・・・「虚」(いつわり、うつろ、むなしさ・・・) 』

〇 『 現在の「乱れ」の多くが、虚偽・虚言・・・他の人を偽り・・・他の人をコントロールしたいという欲求へ・・・という、今迄であれば「側面」的な傾向であったものが、現在では「本質」的な面として現れてしまっている・・・ 』

〇 『 そのような「虚」が周囲に溢れ出してくるにつれ、次第に「虚」に慣れてしまい・・・「虚」である事に気づかず・・・「虚」から目を逸らしていく・・・ 』

〇 『 「虚」を操っている側も、本来は自分自身でも「虚」である事を自覚していたであろう事柄が、次第に自分自身の中でも「虚」が「真」に変質してしまっている・・・という状態が「今」に繋がっていると思われる 』

 

そして、この1つ目のTOPICSにおいては、このような行き過ぎた傾向に対しての方策として、次のような言葉と共にお伝え致しました。

 

〇 『 恥を知りなさい 』

〇 『 「虚」が「真」を覆い隠してしまっている 』

〇 『 人としての愛念を失うというのは、欲望に全自我が支配されてしまっている・・・そして、その欲望を満たすためには、他の人はどのようになろうとも構わない・・・という状態です 』

〇 『 どのような状況であろうとも、揺り戻しという現象が起こる 』

そして、

〇 『 自分のした事は必ず自分に反ってくる 』

 

と。
では、2つ目は年明け2018年1月6日のTOPICS「2018年のキーワードは・・・「見下す」&「火」」からです。

 

〇 『 「見下す」の負の面として「見下(くだ)す」という面が現れてきます 』

〇 『 「見下(くだ)す」という観点では、自分と考えや意見の違う相手は、取るに足らぬ者・・・という風潮が既に現れ始めてきています 』

〇 『 この「見下(くだ)す」という本質には、自分の考えや意見が絶対的に正しいもの(正義)である・・・なので、相手は間違い(悪)である・・・という部分が大きく影響を及ぼしている 』

〇 『 この「見下(くだ)す」という姿勢により、何かのバランスを失いつつあるというのは、(あらゆる意味・面において)今までのコミュニケーションが崩壊しつつある・・・という社会の現実を炙り出しています 』

〇 『 「火」というキーワードとして、「バチバチと火花が散るような人間関係」などのように「負」の面が思い起こされるかもしれません 』

〇 『 「見下(くだ)す側」と「見下(くだ)される側」の間では「火(花)」が起こりやすくなります 』

 

と、お伝え致しました。
それでは、3つ目は2018年1月13日のTOPICS「「人」としての愛念が失われつつある今こそ・・・」からです。

 

〇 『 何が清浄なものかが分からなくなってしまっているという、これも「人」としての愛念を失った証として現れてきます 』

そして、このような「人」としての愛念の欠如により炙り出される事象を未然に防いでいく為の方法のコメントとして、

〇 『 (一見すると自分とは関係ないように思われる)世の中・社会の出来事の方が、今後は、より重要になってきます 』

〇 『 昨年(2017年)から繰り返しお伝えしております「自分のした事は自分に反ってくる」というのは、今年(2018年)は特に必要になると感じています。そして、この「反ってくる」と同じ意味合いが今回活用した「炙り出し」という事象です 』

 

と、お伝えして参りました。

そして、いつもながらですが、どのような見解や感想をお持ちになろうと、全くの自由です(笑)
では、今回の出来事の「真相はどこにあるのか?」という点に関しまして、私自身が考えている本質をお伝え致します。
それは、今回の一連の出来事の根本・奥底にあるのは、

 

「無関心」に端を発した「共依存」関係

 

であり、ここでの「無関心」とは、

 

自分を見失ってしまった・・・

 

と同じ意味合いを持ち、このような傾向が昂じてしまった結果、

 

(複数の人同士が)自分を見失った状態での「共依存」関係が成り立ってしまっている・・・

 

と捉えています。
つまり、今回の出来事においては、間違いなく多くの方々が(関与の度合いは違うにせよ)関わっています。
そして、その関わりという意味では、それぞれ各人の立場や状況の違いにより、誰に対し、どの位の、などの点における「無関心」と「共依存」の関係性や度合いは違っている事とも思われます。
しかし、このような出来事の真相の解明には、