【 7月2日 】:
消費者の飲み残した製品から毒素であるエンテロトキシンの陽性反応が出ました。
これにより大阪市から大阪工場は営業停止を命じられ、更に大阪府警も業務上過失傷害の疑いで捜査に入っていきます。
【 8月(17日) 】:
北海道にある大樹工場の脱脂粉乳から黄色ブドウ球菌の毒素が検出されました。
実は《 食中毒事件発生の3ケ月前 》、この大樹工場の電気室に氷柱(つらら)が落下して屋根に穴が空いてしまい、そこから水漏れが起き配線がショートして工場全体が停電する事故が起きていました。
この停電は3時間に渡って続き完全復旧まで9時間を要しましたが、この間、冷却されるはずの牛乳が20℃から40℃の状態で《 放置 》されていました。
この温度(帯)は黄色ブドウ球菌が増殖して毒素を作り出す《 恰好の環境(条件) 》でした。
しかし、この放置されていた牛乳は殺菌処理を施されただけで、《 その後は 》脱脂粉乳の原料の一部として使用されました。
確かに黄色ブドウ球菌は熱に弱く加熱殺菌で死滅しますが、毒素のエンテロトキシンは熱に強い性質がある為に、《 毒素そのものは残ったまま 》でした。
《 当時 》、エンテロトキシンの検査方法は確立されておらず、《 国も 》検査を義務づけてはいませんでした、、、
つまり、《 この時点 》では、脱脂粉乳が汚染されているという《 認識は誰も持っていなかった 》という事になります。
そして、これは衛生管理の《 知識の欠如 》が原因とされていますが、更に、同工場では日々の日報も記録されておらず、食中毒事件発覚後の現場では日報の《 改竄(かいざん) 》が行われていた事も判明して来ます、、、
そして、雪印への《 信用が失墜 》しただけではなく、《 更なる不信を増大 》させ、全国のスーパー等の店頭から雪印の製品は続々と《 姿を消して 》いきました、、、
そして、事件から1ケ月後に雪印は経営陣を刷新し、連絡体制や検査方法を改善したりなどの再建に取り掛かっていきますが、当然の事ながら大幅な赤字を生み出し、工場の閉鎖や大規模なリストラなども《 行わざるを得なく 》なりました。
が、しかし、、、
【 2002年1月23日 】:
《 今度は 》子会社である雪印食品の牛肉偽装事件が発覚します。
当時はBSE(狂牛病)問題が発生して牛肉の買い控えが起こっており、雪印食品は大量の輸入牛肉の在庫を抱えていた為に、政府が実施していた国産牛肉の買い取り事業を悪用し、交付金の不正受給を行っていました。
これにより、《 再び 》全国のスーパー等の店頭から雪印製品が《 姿を消す 》事となっていきます、、、
《 その後の 》雪印グループは解体や統廃合などの再編により、雪印乳業は乳食品事業に特化した形態で《 再スタート 》する事となっていきます。
そして、この2つの事件の後、社内で7名の有志社員が《 立ち上がり 》、「雪印体質を変革する会」が結成され、全国紙で《 意思を示した 》のが以下のものになります、、、
『 2002年3月、雪印。
私たちが犯してきた、悪質な行為の数々。
本当に申し訳ございません。
企業そのものに人格があるならば、雪印は、感謝という心を持っていなかった、といえます。
消費者の皆様、酪農家の皆様、牛乳販売店の皆様、お取引先の皆様、株主の皆様に向ける感謝がないことにさえ、気づいておりませんでした。
現在も雪印製品を愛してくださっている皆様に、申し上げるべき言葉がございません。
「自分さえ良ければ(助かれば)いい」
「すべて他人事。すべて他人のせいにする」
これが今までの、企業・雪印の人格です。
そしてこれこそが、社員ひとりひとりの中に、多かれ少なかれ巣くっている悪しき「雪印らしさ」です。
これからお前たちはどうするのだ。
いったい今、何を考えているのだ。
そうした問いに対し、情けないながら、現在まだ明確にお答えできる段階には至っておりません。
ただ、ひとつ。
社員からなる「雪印体質を変革する会」をスタートさせました。
私たちは、私たちのこれからを見ていてほしいと、心から思っております。
雪印社員一同 』