復元納棺師から学び感じ取る生命(生きるとは) ~東日本大震災のご遺族等からの学び~

次は、2人のお子さんの父親である30代の男性(故人)と幼稚園に通う4才の長女が対面を果たしたものです。

《 「パパ、さようなら・・・」小さな娘さんの涙・・・。
  「さようならはさみしすぎる・・・「またネ!」にしようよ・・・」ママがそう言ったね。
  「パパ・・・・またね・・・・。」
  その言葉にみんな泣いた。
  私も・・・。 》

 

次は80代女性(故人)と長年連れ添った夫が対面したものです。

《 「漬物名人だった・・・」「もう食えねえんだな・・・。」ご主人がポツリポツリとお話しして下さる奥さまの想い出・・・。
  棺にすがって泣く御主人の背中をきっととなりでさすってる。
  奥さま、きっとね。 》

 

そして、スケッチブックの中で唯一、お母さんとお二人の子どもさんを一緒に描いているものがありますが、それは29歳のお母さん(故人)と2才と1才の女の子のご姉妹(故人)であり、近所に住んでいた孫達が毎日のように遊びに来ていたご祖父母が復元を望み、孫達が大好きだった着物を着せて欲しいとの依頼をしたものです。

《 「じぃじってやっと言ってくれるようになったんだよ。」っておじいちゃんが言っていたよ。
  みんな同じ口紅の色でニッコリ笑ってね、「ありがとう」「大好き」ってそう言ってるみたいだったね。
  じぃじ、忘れないでね。
  それから着物、ありがとう 》

 

そして、震災から1年半後に笹原 氏はご遺族の女性の方からもう一度逢いたいとの申し出を受け、そにに出向いた時のものです。
その女性は震災当時妊娠3ケ月であり、消防団員であった36歳の夫(故人)は港の水門を閉めに向かった時に津波に襲われました。
そして、笹原 氏は描いたスケッチを女性に渡しました。

《 奥様が「大好き」と言って泣きながらご主人の頬に触れていました。
  忘れないですよ、町の英雄消防団・・・。
  世界一カッコイイ。
  家族もずっとずっとそう思っています。 》

 

そして、その女性の方は、次のお話を打ち明けてくれておりました。

その女性の方:
『 1年経って、やっぱり主人が夢に出て来て、1年経ったからもう行かなきゃならないけども、子ども達の事を頼むなって、ちょうど一周忌が過ぎてから夢に出て来てくれたので、その言葉の通りに子ども達の事は私が守っていかなきゃなぁと思っています。
  それを主人も望んでいると思うので。 』

 

そして、先程のAさんはその後に4人のお子さんを男手一つで育てておりますが、震災から1年半後に長女の方が(当時における最近)お母様の夢を見て、その夢での会話をAさんに話してくれたそうです。

Aさん:
『 (長女)「この前ねぇって、私、夜、目が覚めて、そうしたらお母さんがいた」と。
  (長女)「(お母さん)どうしたの?」って聞いたら、(お母さん)「お父さんに言い忘れた事があった」と。
  (長女)「なんだって?」って聞いたら、(お母さん)「お父さんに今までありがとうって言うの忘れた」って。
  子ども達が困った事があったりしたら、夢の中で(お母さんから)アドバイスして貰えればいいんじゃないかなぁ。 』