復元納棺師から学び感じ取る生命(生きるとは) ~東日本大震災のご遺族等からの学び~

そして、これは余談と言えば余談ですが、最近では小さなお子さんにはご遺体やご尊顔に触れさせないケースが増えているとも、よく見聞きします。
勿論、親御さんの死であったりなどのケースバイケースによるでしょうが、子どもさんにおいてトラウマのようになっては故人の遺志に沿わない面などもある事でしょう。
そのような場合は別になりますが、やはり、ちゃんと教えて上げて《 向き合う 》というのも、《 その後の 》子どもさんの人生においては大切で必要なものかもしれないと個人的には感じたりもします。

 

また、お通夜などではご遺族の方から「顔を見てやって下さい」と声を掛けられるケースも多いかと思われますし、ご尊顔を拝する事で気持ちの区切り(踏ん切り)が付いたり、それと同時にご遺族の方の慰みや癒やしに結び付く面もある事でしょう。

ただ、それと同時に、長い闘病の末などの顔を見られたくないなどの「ご遺志」をお持ちの方もいらっしゃいますので、その辺りの《 気配りや心配り 》などを頭の片隅にでも入れて置く事も大切な事かもしれません。

 

少し前置きが長くなってしまいましたが、ここからは2012年8月に放映されたNHKスペシャル(NHK)「最後の笑顔 ~納棺師が描いた東日本大震災~」という番組を素材として活用して参ります!

この番組では日本でも数少ない特殊な技術を身に付けた復元納棺師の笹原 留似子 氏という方が出演されておりますが、笹原 氏は当時の東日本大震災発生の直後から遺体安置所や避難所を周り300人(その内100人以上が子どもさん)を越える震災で激しく損傷したご遺体やご尊顔を生前の(元の)お姿に戻すボランティアをしておりました。
これが復元納棺師と呼ばれる所以でもあります。

 

そして、笹原 氏は震災から4ケ月ほど経った後から、亡くなった方々と、そのご家族との最後の別れを果たした時(場面)の事を想い出しながら、故人の安らかで穏やかなご尊顔(似顔絵)に笹原 氏なりの感じた言葉を添えて水彩絵の具でスケッチブックに描き続けておりました。

そのような笹原 氏が復元の際に大切にしている想いとして、次の事を述べておられます。

 

笹原 氏:
『 笑いじわが戻るのが大好きなんですよねぇ。
  ニコッてね。
  これって(笑いじわって)本人にしかないものだから。
  その人の歴史だから、笑いじわって。
  生きた歴史。 』

 

では、ここからは番組内で紹介されていたスケッチブックなどを元に眺めて参ります!

最初の一例目となるスケッチブックには、『 きっと復元したら・・・・。 』との言葉とお顔の絵と共に、

 

《 全ては安置所でこの子を復元出来なかった、深い後悔・・・そこから始まった。
  身元不明・・・。 3才・・・。 法律を変えて・・・!! そう願った。
  私、抱きしめてあげたかった。
  迎えに来てくれる、お父さんとお母さんのために、復元したかった・・・。
  ごめんね。 》

 

との、笹原 氏の想いが込められた言葉が綴られており、ここから笹原 氏のスケッチブックへの取り組みが始まっていきます。

と言うのも、この最初の場合では震災7日目に遺体安置所で身元不明の3才くらい女の子と出逢い、ご遺体の損傷も激しかったにも関わらず、ご遺族の意思が確認出来ず復元させて上げられなかったからだそうです。

そして、何もして上げられなかった事に無力さを感じたのが始まりとなり、その後の更なる復元納棺師としてのボランティアの原点となっていったそうです。

そして、そのように遺体安置所や避難所を周っている中で、変わり果てた肉親等の姿と対面しても、多くの人がその姿(死)を現実のものとして受け入れられなかったのが実状でもあったそうです。