復元納棺師から学び感じ取る生命(生きるとは) ~東日本大震災のご遺族等からの学び~

そして、10年間連れ添った奥様(36歳)を亡くされた、4人の子どもさんがいる36歳の男性のAさんが子ども達の為にと復元の依頼をしました。

Aさん:
『 (子ども達に)これから(妻を)見せようかどうか、、、
  とりあえず、被災した顔ではちょっと(子ども達には)見せられないので控えようかと思っていたんですけども、、、
  もし生前に近いような顔であればお母さんに逢いたいって言ってたんで、希望があれば逢わせてあげようかなと、、、 』

 

そして、3時間ほどで復元作業が終わり、最初にお父さんが対面し、子ども達に逢わせても大丈夫とお話しされて、翌日対面させました。

その光景を見ていたAさんは、「一番末っ子は1才だから何が何だか分からないが、キャッキャ、キヤッキャしていた」、「次女はずっと泣きっぱなし」、「長女はずっと脇で見ていてぼそっと『あ~ぁ、(お母さんは)帰って来ると思ったのになと話し」、「長男は全然近寄ろうともしなかったけれど、手を引っ張って近づけて、その時にわっと泣いて、溜まってたものが爆発したように泣いて、あとは(火葬の)炉に入るまでずっと(泣いていた)。」とお話しされていました。

そして、Aさんの奥様のスケッチブックに添えられている言葉が以下のものです。

 

《 「これでやっと子どもたちに会わせられます。」って復元後にお父さん、お母さんの手をしっかり握って、泣いていました。
  お母さんもみんなに、「ありがとう、大好き」って言ってるみたいな笑顔だったね。 》

 

では、ここから少しスケッチブックに描かれている他の言葉を見て参ります。

お母様(故人)と共に津波に襲われ他界された生後10日目の赤ちゃん(故人)と、一人残されたお父さんが対面したものです。

《 生後10日目の赤ちゃん・・・。
  言葉が話せなくなったお父さん、復元後のあなたを見て、床に頭をつけて、大きな声で泣いたよ・・・。
  「やっと泣けた・・・」
  そう言って、あなたに触れたね。 》

 

次は、娘さんである4才の幼稚園児の女の子(故人)を岩手県中の遺体安置所を探し回ったお父さんのものです。

《 「探して探して探して、やっと見付けたんです。」お父さんが泣きながら教えてくれました。
  「ごめん、ごめん・・・お父さん、守ってやれなくて・・・」
  でもねお父さん、こうやって、ずっと傍に居てくれるじゃないですか。
  涙をこんなに流してくれているじゃないですか・・・。
  この子を、守ってくれてるじゃないですか! 》

 

次は、砂まみれで見つかった4才の女の子(故人)を笹原 氏が個人として想い出しながらのものです。

《 4才、女の子。
  シャンプーとリンスの後、小さい子供さんらしい髪の質に戻った
  かわいかった・・・。
  誰も居ない時、私は思わず抱きしめてしまった・・・。 》

 

次は、部活動の帰りに津波に襲われ家族の中で唯(ただ)一人犠牲になった17才の高校生の女の子(故人)とご家族が対面したものです。

《 17才、女の子。
  「守れなくてごめんな」お父さんが泣いた。
  「そんなこと、この子は思っていないよ。」おばあちゃんが言った。
  「おれの孫に生まれてきてくれてありがとうな。」おじいちゃんが言った。
  限られた時間だけど、家族の・・・この子だけの・・・大切な時間・・・。 》

 

次は、毎朝お弁当を作ってくれていた39歳のお母様(故人)と対面した高校生の息子さんのものです。

《 こんなことになるなら、あの朝、母さんとケンカするんじゃなかった。「いつもありがとう」って、言えば良かった。」息子さんが泣いた。
  「お母さんだもん。 あなたを世界一愛しているお母さんだもん。 あなたの気持ちは、お母さん、全部分かってくれてると思います」
  私とお母さんは同じ歳。
  きっとお母さん、今、あなたを抱きしめてくれているはずだよ。 》