体罰と躾(しつけ)の境目や線引きはどこに・・・ ~変化を意識的に創り上げる~

『 はじめに松下村塾をつくったのは、叔父の玉木文之進だった。
  それをやがてやはり松陰の叔父久保五郎左衛門が引き継いだ。
  玉木文之進は、松陰にとって、「実質上の先生」だった。

  教育方針はすさまじかったらしい。
  いうところのスパルタ教育である。
  体罰などは日常茶飯事で、そんなことをいちいち問題にするような時代ではない
  松陰自身も、叔父の文之進に殴られれば、「わたしのほうが悪い」と感じた

  とにかく六歳ごろから、徹底的に儒教と兵学をたたき込む文之進にすれば、「兄たちの依頼を受けて、寅次郎(松陰の名)を一人前の藩の兵学指南に仕立て上げなければ申し訳ない。その責任はすべて自分にある」と思い込んでいた

(中 略)

  しかし、(文之進は)性格がきびしいから、ものおぼえが悪いとすぐ、「これは昨日教えたはずだぞ!」と叩く
  講義がむずかしくてしだいに飽きてきた松陰が姿勢をくずすと、「学ぶ気がないのならば、ここから出ていけ!」といって、講義をやめすぐ松陰を家の外へ放り出す
  それだけではない。

  放り出された松陰の前にいままで読んでいた書物がとんでくる、硯(すずり)がとんでくる
  机までとんできた。
  松陰は閉口した。
  もっとひどい時は、文机(ふみづくえ)を背中に背負わされて往来に立たされたこともある。

  叔父の文之進にすれば、「わたくしはものおぼえが悪いので、こういう目にあっていますということを世間の人さまにみてもらえ」ということだ。
  もっといえば、「おまえのような物覚えの悪い少年は、学問など習う資格がない」ということだろう。

外に放り出された松陰を、当然道行く人びとはあざ笑う
  あるいは、「どうかしたの?」と理由をききにくる大人もいた。
  おそらくこういう目にあった松陰は、はなはだしい屈辱感に身をさいなまれたに違いない。
  ところが、まさしくところがで、これから先の松陰の対応が実は興味深い。

  松陰は、こういう目にあったからといってそれでは、「叔父の玉木文之進を恨んだか、憎んだか」といえば、絶対に叔父を恨まなかった
  憎みもしなかった。
  むしろ自分を振り返った
  「叔父上が、わたしをこんな目にあわせるのは、わたしがいたらないからだ」と自分のいたらなさを反省した。 』

 

では、1つ目のパートはここで終了ですが、私の小学生の頃でも廊下に立たされるなどはあまり見かけなくなっていましたが、それにしてもここでのパートの内容は、確かにスパルタとも言える凄まじい教育環境ですし、今ではアウト!!!かもしれませんね(笑)
ただ、ここ迄の内容におきまして、誤解を生じさせては絶対にいけない点、そして、とても大切な点が含まれておりますので、ここではそれをお伝え致します!

 

松陰はどのような仕打ちを受けようとも、決して叔父を責める事もせず、自らのいたらなさが原因と捉えております。
このような、ある意味では真摯な姿勢というのは大切で立派なものでもあり、見習うべき点も含まれてはおりますが、それと同時に、繰り返されるDV(家庭内暴力)や虐待においても被害者は同様の心情(自分に非がある、自分が悪いなど)に陥る事がほとんどです。
なぜなら、そのように捉えないと「身(体)」のみならず「心」が絶えきれず折れてしまうからです。

「心身」を護る為にも、もし今、このような被害に遭われている方がこのTOPICSをお読みになれられている場合には、すぐに行政等へ保護を申し立てる行動を取って下さい
そして、このような暴力などは「身(体)」のみならず、言葉などの「心」への暴力も含みます。
そして仮に、万万万が一でも加害者の思惑とズレ(悪気がなく意思疎通が取れていないなど)が生じた結果で起こっているとしても、そのような事は後で解決すれば良いからです。

そして、ここでは教育という側面ではありましたが、特にDVや虐待等におきましては「子ども」のみならず「大人」も含まれます。

では、2つ目のパートに進みましょう!