『 状況がちょっと違うかもしれないが、頼山陽の少年時代にも同じような話がある。
頼山陽はいうまでもなく《 日本外史 》を書いた歴史学者であり、同時に詩人だ。
かれの父は頼春水といって、芸州広島の浅野家につかえる学者だった。
藩校の教授をしていた。
あるとき、藩主から、「江戸に行って世子(相続人)に学問を教えて欲しい」といわれた。
当時の幕府の掟(おきて)では、大名の婦人と世子は江戸の藩邸で暮らすことになっていた。
一種の〝人質〟である。
春水は「一人で江戸に行く」といった。
現在でいう単身赴任だ。
この頃、春水の子山陽には、ちょっとした問題があった。
というのは、引っ込み思案で学校に行かない。
無理に追い出しても、すぐ帰ってくる。
「どうしたのだ?」ときくと、「他の子にいじめられるからイヤだ」という。
現在でいう登校拒否である。
春水は弱った。
しかし、事情があって妻子を江戸にいっしょに連れていく訳にはいかなかった。
そこで春水は妻のしず子に、「山陽をよろしく頼む」といった。
しず子は心細い表情で、「わかりました」と応じたが、自信はなかった。
春水が江戸に行ってしまった後、しず子は山陽の教育に手を焼いた。
いうことをきかない。
学校には絶対に行かない。
いつも家の暗い隅でじっとうずくまり、頭を抱えている。
「いったいなにを考えているのだろう」と思うが、母親すらそばへ寄せつけない。
たまに夫の春水が帰ってくる。
そして相変わらずの山陽をみると、しず子を叱った。
「わたしは江戸で若君の学問のお相手をしているのに、おまえは息子ひとりの教育もできないのか。山陽があんな様子をしているのは、すべておまえのせいだ」ときびしく責める。
しかし、しず子にすれば、(あなたがわたしたちを放り出して、ひとりで江戸暮らしをなさっているからこういうことになるのです)といいたいが、昔の武士の家では、そんな口答えはできない。
じっと我慢する。
春水は散々にしず子を叱りつけて、「では、江戸へ行く。山陽をしっかり育てろよ」といって去ってしまう。
残されたしず子は(なにをいっているのですか)と思う。
やがてまた夫が帰ってくる。
そしてまた山陽をみると、しず子を叱りつける。
しず子は情けなくなった。
同時に怒りもわいてきた。 』
と、パートの途中ですが小休止です(笑)
どうでしょうか、このパートを眺めていると、「昔」と「今現在(現代)」とでほとんど変わっていないようにも思われないでしょうか???
イジメ問題や引きこもり、そして男尊女卑など、これらも「今では」先程と同様に「子ども」のみならず「大人」も含まれています。
そして、シングルマザー&ファザーのようにお仕事もしながら子育てもお一人でせざるを得ない方も多い事と思われますし、一方ではご両親の間で子どもさんの躾や教育方針などでの意見のぶつかり合いなども多々ある事でしょう。
と同時に、どちらか一方に「任せきり」になっているケースも。
このような場合では、得てして「子ども」の意見や考えなどが「反映」されていないケースがとても多いです。
「子ども」は「子どもなり」にちゃんと考え、「自分」というものを持っているものです(笑)
では、パート2の残りに進みましょう!