『 そこである日、「そのようにあなたからガミガミいわれても、わたしにはいまのやり方が精一杯です。でも考えてみれば、いまのやり方はあなたの指示をそのまま守っているだけです。これからは、わたしの思いどおり山陽を教育してもいいですか」ときいた。
春水はびっくりした。
しかし、「けっこうだ。思うように教育してくれ」といった。
しず子は、「わかりました、思うようにいたします」といって、唇をきっと結んだ。
夫が去った後、しず子は息子の山陽にいった。
「あなたは、そうやっていつもひとりでいるのが好きですか?」
「好きです」
「では、もっとひとりにしてあげましょうか」
「どうするのですか?」
「家の中に座敷牢(ろう)をつくります。そこへお入りなさい」
「えっ?」
さすがに山陽はびっくりした。
いままでやさしく、どちらかというと頼りなかった母親が、急に決然とした態度で臨んできたからである。
しかし山陽は、「お願いします」といった。
しず子は家の中に座敷牢をつくり、その中に山陽を閉じ込めてしまった。
そして、ほとんど近づかない。
座敷牢に入れたとき、しず子はいった。
「あなたは、わたしの手に負えません。ですから座敷牢の中に入って、なぜ自分がそうなっているのか、ひとりで考えなさい。答えが出たら、わたしを呼びなさい」
山陽は厳しい母親の態度にちょっと心細そうな顔をしたが、しかししっかりとうなずいた。
「そうしてみます」
座敷牢の中に入れられた山陽は、そのまま放置された。
しず子は食事以外届けない。
しかし、日にちがたつとやがて山陽はいった。
「おかあさん、本を差入れてください」
「本を読む気が起こりましたか?」
「起こりました。お願いします」
「なんの本ですか?」
「できれば歴史の本を読みたいと思います」
「わかりました」
そこでしず子は、山陽の望む歴史の本をどんどん差入れてやった。
座敷牢の中で山陽は本を読み耽(ふけ)った。
その態度を盗みみると、前とは少し様子が違ってきた。
やがて山陽は、「おかあさん、紙と筆記用具をください」といった。
しず子は差し入れてやった。
山陽はなにか書きはじめた。
そして一ケ月ばかりたったある日、山陽はいった。
「おかあさん、この座敷牢から出してください」
「どうして出たいのですか?」
「歴史の本を読んでいるうちに、人間はひとりで生きているのではないということを悟りました。歴史を勉強するためには、世の中に出てもっと多くの人と会わなければなりません。藩のことも知る必要があります。出してください」
「わかりました」
しず子は喜んだ。
胸の中で、(わたしのやり方は正しかった)と思った。
山陽を座敷牢に入れてから、親戚一同から散々に非難されていたからである。
「いくら孤独が好きだからといって、自分の息子を座敷牢に入れる母親がいるか」と、まわりはカンカンだった。
しかし、しず子はじっと耐えた。
山陽の言葉をきいたときに、「息子は自分で立ち直ってくれた」と思った。
以後の山陽は、活発な人物になって、大いに社会と接触をする。
しず子が老年になると、山陽はよく京都の酒亭に案内した。
しず子はよく飲んだ。
ふたりで歌を歌った。
まわりはうらやましがった。
山陽は浪費家として有名だった。
しかしその浪費の大部分は、母親との遊興費だった。
酒亭の主人が心配して、「少し飲み過ぎですよ」と注意した。
しかし山陽は、笑ってこう応じた。
「おれが今日あるのは、あの母親のおかげだ。母親にはいくら恩を尽くしても尽くしきれない」 』
では、パート2もここで終了です!
結果オーライではありませんが、母親たるしず子さんのやり方は、かなりの「荒療治」!?とも言えるかもしれませんね(笑)
そして、息子たる山陽は座敷牢の中で歴史という一つの素材から「知り」「考え」そして「気づく」という作業を行っていた事は言うまでもないでしょう。
そして、その前提として母子(親子)の「コミュニケーション」では、お互いを理解する上での「説明」もなされていたものであった事も。
では、最後のパート3に進みます!