Xジェンダーと性別ゼロ(前半) ~多様性が生み出す新たな少数派にも目を向ける~

この密着は2010年の夏、当時の空雅さんが15歳の時から開始されました。
と言うのも、女の子を男子生徒として認めた中学校があると聞きつけた事が取材の発端となりました。
それまでの空雅さんにおいては学校でのイジメや、女子の制服を着させられる事などに苦痛を感じ、登校拒否になっていました。

(15歳の)空雅さん:
『 おとこ(男)おんな(女)みたいな感じで言われたりは、結構、小学校の時からあったりして、あとは何か気持ちが悪いとか、そういうことはありましたね。
  制服着て女子の列に並んで、先生と友達からも女の子として扱われていったことが、一番やっぱ、辛かったです。
  制服、ただスカートが嫌いなのか、学校の先生とかが嫌いなのか分かんなくて、ずっと考えてました。 』

そして、当時の学校生活においては、トイレは職員用のトイレを使うように言われていたそうです。
しかし、空雅さんはそれまで学校のトイレを使った事がなく、それはトイレを我慢するという事でもなく、トイレに行きたいという気持ちにならなかったから、と述べておりました。

 

そして、母親の小林 美由起さんは、娘(空雅さん)が小さい頃から女の子らしくない事に気づいていたそうです。
そして、中学生になった時に大きな変化があったとおっしゃっておりました、、、

母親の美由起さん:
『 ちょっと体が丸くなってきて、体育の授業とかもあるので、まぁ、ちょっとブラジャーをね、最初つけた方がいいんじゃないかっていう事を話した時に、すごく嫌がって、そろそろお友達も生理がきてるという事だったので、そういう話もちゃんと手当ができないと困るからって話そうとすると、もう本当、泣いて嫌がる。

  (そして空雅さんに)聞いたんですね。
  あなたは 男の子なの? 女の子なの?

  そしたら、その時「自分は男の子だ」って、「(そして)病院へ行きたい」っていうような事を言って、分かった、じゃあ、すぐ病院を探しましょう、と。 』

そして、14歳の時に、心と体の性別が一致しない性同一性障がいと診断されました。

 

そこで、美由起さんは診断が下りたら(確定したら)女子生徒としてではなく、男子生徒として扱って欲しいと学校にお願いに行きました。
このようにして、空雅さんは男子生徒としての通学が正式に認められました。
更に、この時にお名前も「花菜(さん)」から「空雅(さん)」へ変更したそうです。

この15歳の中学生である空雅さんが男子生徒として認められた当時のインタビューで、次のようにお話されておりました。

インタビュアー:
『 今の自分は好きですか? 』

(15歳の)空雅さん:
『 好きかって聞かれると、そうでもない気もするけど、まぁ、楽しく生活はできてるからいいんじゃないかなって。
  まだ体のこととかもあって、その辺は好きになれないけど、中身としては許せるかなぁぐらいですね。 』

そして、ここからは2年後の2012年10月、17歳の高校生である空雅さんに舞台(焦点)は移っていきますが、その前に、先ほどのインタビューの中における空雅さんの《 中身としては 》との言葉が私には強く印象に残りました、、、

 

では、話を戻して参りますが、空雅さんは体が女性らしくなってきている事に強い嫌悪感を抱き、男性ホルモンの注射を打つ為に診療所へ通っていました。
当時ではホルモン治療を受けられるのは16歳以上とガイドラインで定められていたそうで、それにより16歳になるとすぐにホルモンを打ち始めたそうです。
そして、声変わりなどもして、自分のあるべき様(姿)に(今までよりも)もっと近づけたと感じ、だんだん明るくなってきたと、当時の空雅さんは述べておりました。

 

ここでホルモン治療を担当した精神科医の針間 克己 氏は、このような治療を受けられているのは、ごくごく一部の人でしかなく、多くの人が誰にも話す事が出来ずに悩んでいる背景を含め、次のようにお話されておりました。

針間 医師:
『 男女の区別が(学校では)非常にハッキリしていますので、例えば制服だとか、あるいは男女に分かれる体育の授業だとか、そういうのが非常に苦痛であるという事が第一点。

  あと、もうひとつ思春期でどんどん体が変わっていくという事で、自分の嫌いな体、嫌な体にどんどん変化していくっていうのも辛かったり、あるいは恋愛もし始める時期ですので、周りとは違って、周りは異性が好きなのに自分は同性が好きっていう事でも悩んだりっていう、色んな辛い面が重なる時期ですね。 』