【 ① 主が唯一の神である 】
神が存在するかどうかは、私には分かりません(笑)
内心の自由もあるので、ここは一点だけ!
それが、
「誰が」伝えているかではなく・・・
伝えられている「内容」に着目する事が大切となる!!!
ネットやSNSの普及により、「情報過多」の時代です!
情報を「取捨選択」し、真偽を「見抜く目」を養い、時には「近づかない」事も含め、より「考える」事が必要な時代です、、、

では、締め括りに入ります!
【 他人事に怒ったモーゼ 】
モーゼは神から、2度のメッセージ(石版)を授かりました。
なぜなら、人々(民衆)が神のメッセージを聴く事を怖れ、モーゼに代表として神の声を聞き届けて貰うようお願いしたからです。
そこで、モーゼは山頂に向かい、神からの石版を携えて戻って(下山して)来ました。
すると、人々(民衆)は偶像崇拝(金の子牛)に加え、モーゼの「存在」を忘れたかの如く、飲み食い踊りのバカ騒ぎをしていました。
それにモーゼは怒り、1度目の石版を自らで叩き壊しました!
途中でも出て来ましたが、特に最近は顕著に見られる、
全ては「他人(の)事」という姿勢
に現れています。
また、「今だけ 金だけ 自分だけ」との言葉にも、現れています。
そう考えると、現代の私達(人類)は、
昔と変わっていない、、、 それどころか、、、 劣化している、、、
と、私には思えます、、、

【 裁きとの関係 】
そして、十戒では、戒律を破った時に行われる「裁き(裁く)」が「表裏一体」のテーマになっています!
そして、イエス・キリストは、次の趣旨の言葉を残しています、、、
(他の)人を裁くこと勿(なか)れ・・・
なぜなら、自らもまた裁かれることになるのだから・・・
そして、
叱るは「理性」 怒るは「感情」
叱るは「叱咤激励」と同時に、「(最小限の)逃げ道」も用意して上げる事を意味します。
怒るは「喜怒哀楽」と同時に、相手を「(過度に)追い込んでしまう」事もあります。

勿論、これも「100%どちらか(理性か感情か)」という性質でも、問題でもありません!!!
イエス・キリストも、神の住まう神殿の目の前で、
神の名を過度に利用し・・・
自らの莫大な利益のみを追求していた両替商に怒り・・・
その店を叩き壊した!!!
という話もあります、、、
ただ、例えば、悪質な交通事故や犯罪に遭った被害者や家族では、哀しみ(悲しみ)を感じたり、加害者に怒りを抱くのは自然なものです。
故に、怒りの感情を抱く事が「悪い」と示唆したものではありません!
駄目なものはダメ!!!という姿勢を保つのも、大切で必要です!
