モーゼの十戒を魂の視点で眺めてみる(笑) ~日常生活での実践が大切で必要~

⑥ 人を殺してはいけない

これもある意味では先ほどと同じく魂の視点を活用せずとも、小学生頃になれば教えたりなどして充分に理解出来るものです。
それで、ここに魂の視点を当てはめてみますと、これも多くの方がピン!と来る(かもしれない)のが「カルマ(業)」という言葉になるのかもしれません(笑)

そして、この「カルマ(業)」とは、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております『 自分のした事は自分に反ってくる 』というものであり、前世で悪い行いをしたからだ!罰が当たった!のようなものではありません
これは、言わば、

 

二度と同じ事を繰り返さない為のチャンス(好機)!

 

という視点です!
例えば、「前世」で人を殺したから「今世」で自分は殺されなければならない!などを繰り返していては、いつまで経っても終わりません(苦笑)
つまり、

 

悪しき種を蒔いてしまったのならば・・・

良き種を蒔いていく事で・・・

バランスを取る!

 

という視点です!
故に、殺人などに限らず、また、体を傷つける行為のみならず、「心」に対しても同様に当てはまっていきます。
そして、わざわざ「前世」や「今世」などの時空を隔てなくとも、このような事(種蒔き)を私達は「日常茶飯事」に行っています(笑)
そして、これらが最も端的に現れてくるのが、

 

「ありがとう」と「ごめんなさい」

 

という「一貫性」を保った「思い・言葉・行動」になります。
そして、更に魂の視点をパワフルに活用してみますと、

 

魂は「永遠(永続する)」なのだから・・・

そもそも殺す事は不可能である!

 

という一点に行き着きます。
私達(人類)は長いこと長~いこと、何度も戦争を繰り返してきております。
それは、このコロナ禍ですら行われている事でもあります。
また、戦争に限らずテロなども同じ事です。

魂の視点の「真の理解」に辿り着ければ、これらの行為や行動が「カルマ(業)」という点からも如何に無意味(無味乾燥)なものかに気づけるはずなのですが、、、
なお、これも「是非」というものではなく、この視点は「死刑制度」にも当てはまってきます。

 

そして、今回はオカシなテーマという事もあり、また、キリスト教では悪魔払いなども(現在でも)実際に行われている事なども踏まえまして、ほんの余談として「憑依」を眺めてみます!

そして、これは東京オリンピックの開催の「是非」問うている訳ではありませんのと、特定の個人や機関を出すのは不具合もありますので控えますが、オリンピックの(強行)開催を声高に叫んでいる人の顔をTVの画面越しに眺めていると、

 

「表情」の動きの無さ(緩慢さや固まり)・・・

「瞬(まばた)き」の回数の(異様なまでの)少なさ・・・

ふとした瞬間に入れ替わる(ような)「目(目つき)」・・・

 

これらはジ~ッと画面越しに眺めていると、多くの方にもそれが「見え」、そして「気づく(発見する)」事が出来ると思います。
これには特殊な霊感?能力?なども必要ありません(笑)

私達は「自分の目」さえ開こうとすれば、色々な事が「見え」そして「気づける(発見出来る)」時機になって来ているのかもしれません、、、が、しかし、、、それを妨げているのは、、、私達の中の「怖れ(恐れ)」かもしれません、、、
そして、、、憑依される側に原因や理由があるという事も、、、

では、気を取り直して?次に進みましょう!