冬至という初夢に贈る物語(メタファー) ~パート5~:蜘蛛(クモ)の糸は誰の為に垂らされるのか

『 ある日の事でございます。
  お釈迦様は、極楽の蓮池(はすいけ)の周りを、散歩していらっしゃいました。
  池に咲いている蓮の華は、みんな玉のようにまっ白で美しく、何とも言えない、よい香りがしてきます。

 

  お釈迦様は、蓮の葉の間から、ふと下の様子をご覧になりました。
  この蓮池の下は、地獄です。
  死んだ人が渡る三途の川や、とげとげしく光る針の山の景色が、広がっているのです。

 

  お釈迦様は、地獄の底に、カンダタという男を見つけられました。
  他の悪人と一緒に苦しんでいます。
  この男は、人を殺したり、家に火をつけたりと、色々な悪い事をした大泥棒でした。
  でも、たった一つ、良い事をしたことがあります。

 

  ある日、カンダタが林の中を歩いていると、小さなクモが一匹、道ばたにいるのが見えました。
  カンダタは踏んでしまおうと思いましたが、「 小さくても一つの命。むやみに殺してしまっては、いくら何でも可哀想だ 」と、思い直して、そのクモを助けてやった事があるのです。

 

  お釈迦様は、せっかく良い事をしたカンダタを、地獄から助けてやろうとお考えになりました。
  そばには、クモが糸を張っています。
  クモの糸をそっとお手に取り、遙か遠い地獄の底へ、真っ直ぐに下ろされました。

 

  カンダタは、地獄の血の池で、他の悪人と一緒に浮いたり沈んだりしていました。
  ふと上を見ると、まっ暗な天上から、銀色のクモの糸が、細く光りながら、するすると自分の上に垂れてくるではありませんか。
  「 この糸をどこまでも昇って行けば、極楽まで行けるに違いない 」

 

  カンダタは、手を打って喜びました。
  さっそく糸を両手でつかみながら、一生懸命に上へ上へと昇りはじめます。

 

  でも、極楽はあまりに遠くて、簡単には辿り着けません。
  とうとうカンダタはくたびれて、途中でひと休みする事にしました。

 

  ふと下を見ると、クモの糸を辿って、たくさんの悪人たちが、アリの行列のように、上へ上へと昇ってくるのが見えました。
  カンダタは、驚いたのなんの。
  この細い糸では、重さに耐えきれずに切れてしまうでしょう。

 

  また地獄へ真っ逆さまに落ちては、大変です。
  カンダタは大きな声で叫びました。
  「 こら、悪人ども。このクモの糸はオレのものだぞ。下りろ。下りろ 」

 

  その瞬間、今までなんでもなかったクモの糸が、プッツリと音をたてて切れました。
  カンダタは、コマのようにくるくる回りながら、地獄の底へ落ちてしまいました。
  「 自分だけ、助かろうとするなんて。なんという、愚かな事でしょう

 

  お釈迦様は、悲しそうな顔で、散歩を続けられました。
  蓮池の蓮は、何事もなかったかのように、相変わらず、よい香りを漂わせているのでした。 』

 

では、物語(メタファー)はここで終了です!
如何でしたでしょうか???

「過去」の記憶と「違った感じ」はありましたでしょうか???
あるいは、「今、現在」としての捉え方をしたりなど、何か「新鮮味」などはありましたでしょうか???(笑)

どのような感じ方や捉え方でも、「今」お読みになって頂いた皆さん自身の心に素直になってみて下さい!!!
それで大丈夫ですし、それであれば大丈夫!!!とも表現出来ます(笑)