冬至という初夢に贈る物語(メタファー) ~パート5~:蜘蛛(クモ)の糸は誰の為に垂らされるのか

そして、このお話におきましては、人それぞれ様々な視点が成り立つものですが、「たった一度だけでも良い行いは尊いもの」、「自分だけ良ければ構わない事への戒め」などが比較的多く出てくるご感想でもあるかもしれません。

では、私なりの視点を三つほど「加味」して参ります!!!
クモの糸は細いですが、確かに力強い面も備えております。
しかし、

 

「一度」に「大量」に、などの「負荷」が掛かり過ぎると・・・

「切れて」しまう可能性もある・・・

 

という事はお分かり頂けるかと思います。
「自ら」の後に続いて昇ってくる人々に対し、カンダタが「恐れ」を頂いた理由の一つであるかもしれません。
では、このような状況を回避する為には、どのような方法があるでしょうか、、、
その一つには、

 

「徐々に」・・・「段階的に」・・そして「丁寧に」・・・

という・・・

「急がば回れ」・・・

 

という視点です。
これは「現在の(コロナ禍などの)状況」にも大いに当てはまる面があるかと個人的には感じております、、、

そして、「権力」というのも、この世の中や社会においては「存在」しております。
この「権力」というのは、一昔前であれば「国」や「政府」や「行政」に多くが当てはまっておりました。

とは言いましても、この傾向は「現在」では更に拍車も掛かっています。
そして何より、この傾向は「会社(などの職場)」、「地域」、「教育(現場)」や、更には「家庭(夫婦や親子や親類)」などにも「幅を利かせ」つつあるようになってきております。
つまり、

 

あらゆる「人間関係」に及んできている・・・

 

という傾向がとても高くなって来ています。
そして、この傾向を今回の物語(メタファー)から眺めてみますと、

 

あたかも「自ら」が「蜘蛛そのもの」という存在に「見せかけ」・・・

「自ら」がまるで「蜘蛛の糸」を生み出し、垂らしてあげているような「錯覚」を起こさせ・・・

「真の源」である「本物の蜘蛛」を・・・

「意図的」に覆い隠している・・・

 

のが現在の世の中や社会では顕著になっております。
これが、

 

本来は「権力」とは「幻想」であるにも関わらず・・・

あらゆる「人間関係」において・・・

それに「実体」が有る、と思わせるかの如く・・・

「主従」や「優劣」などの「方便」を用い・・・

「分断(分離)」を強めている・・・

 

のが真の理由の一つとなっています。
そして、このような「幻想」を回避していく為には、