鉱物と植物においては「(老いや)若さ」という「意識(心)」は無い・・・
なぜなら・・・
(同類も含め)他(の生命)を直接的に育てる・・・
という体験が無いから・・・
というものです。
そして、植物には「枯れる」などの言葉もありますが、勿論、枯れ葉が土に還り、それが他の植物の養分となって間接的に育てているなどの「連鎖」というのは確かに存在しています。
そして、鉱物と植物において「(老いや)若さ」という「意識(心)」は無いという点にはもう一つあると考えられます。
それが、
鉱物と植物は・・・
「今にある」・・・
という学びをしている・・・
という点です。
つまり、
鉱物と植物は・・・「時間軸」を感じない・・・
なぜなら・・・
ここでも(同類も含め)他(の生命)を直接的に育てる・・・
という体験が無いから・・・
という事になります。
例えば、もし「あなた」が生まれた時点で、この世に誰も存在していないのであれば、「あなた」は「時間軸」を感じる事は出来ません。
なぜなら、
「あなた」を「反映」して見せてくれる・・・
他者(対象)が無いから・・・
です。
そして、ここ迄の違いから、
(同類も含め)他(の生命)を直接的に育てる動物と人においては「時間軸」を感じられるが故に・・・
「(老いや)若さ」という「体験」を創り出す事が出来・・・
さらに、この創り出すという部分に・・・
「意思(選択と決断出来る能力)がある」という面が活用されている・・・
という事になります。
しかし、そうすると最初にコメント致しました『スピリチュアルな視点においては・・・老いも若きも無い!!! 』という部分と矛盾を生じてきますよね(笑)
そして、その、なぜなら~は、皆さんもお気づきかと思われますが、