「今、現在」では・・・
「パンドラの箱」の「存在」そのものが・・・
「覆い隠されて」しまった・・・
というのが、一番の「災い」の種となっているように思えます。
つまり、
「選択肢」(という「存在」)そのものを隠してしまっているが故に・・・
「選択肢」が有るという事にすら・・・
「気づかせない」ように仕向けられている・・・
という事です。
そして、
「パンドラの箱」に「災い(私達の内面や感情)」と「希望」が同時に存在しているという事は・・・
「災い(私達の内面や感情)」と「希望」には・・・
「繋がり」と「重なり」が「存在」している・・・
という事にもなります。
「災い転じて福と成す」「禍福は糾(あざな)える縄の如し」という言葉もありますよね(笑)
そして、魂の視点においては、
「パンドラの箱」に入っている中身は・・・
「希望(という可能性)」だけであり・・・
それを「見えなくさせて(曇らせて)」しまっているのが・・・
私達の「(行き過ぎた)感情」・・・
です。
そして、開けるな!触るな!と言われると、開けたい!触れたい!と思うのが人の心の自然な常!?でもありますが(笑)、「パンドラの箱」から導かれる一つの(ポジティブな)教訓、それは、
やるのか?・・・やらないのか?
という・・・
「二者択一」が当てはまるケースもある!!!
という事です。
平たく言えば、「宝くじは買わなければ当たらない」のと一緒です(笑)
勿論、宝くじにおいてすら、人から貰ったなどの「選択肢」はありますが、「入手出来たのか?入手出来なかったのか?」という観点では同じ事になります。
そして、仮に全世界で収束を迎えても、日本だけが感染拡大を続けていたら、日本には行くな!日本からは来るな!のように、結果的にロックダウン(国封鎖)という状況になってしまうのと同様に、