○ 人権侵害と訴えられて「裁判」になるのを避けたい
というものが紹介されておりました。
もうお分かりかもしれませんが、これ迄の公害訴訟や他の訴訟にせよ、国が自らの非や責任を認めずに、長期間に渡って、徹底的に抗戦して来たケースが圧倒的に多いのが「真実であり事実(歴史)」です。
つまり、
「人権侵害」を避けねばならない・・・は「詭弁(または、方便)」であり・・・
「裁判」になるのを避けたい・・・が「真の動機」である・・・
という点は、「頭隠して尻隠さず」のように明らかです。
しかし、これはあくまで私個人の感覚ですが、
検査数が増えないのには・・・
他にも「背景」や「理由」が存在している・・・
という疑念がどうしても払拭出来ません。
勿論、この「背景」や「理由」とは、
たった一つではなく・・
それぞれ複数の事柄が・・・
「繋がって」「重なって」いる・・・
事と感じます。
このような流れから、検査数が多い他の世界各国と、検査数が異様に少ない日本との「事情の違い」を眺めた時に、誰もが真っ先に思い浮かぶのが「(東京)オリンピックの開催地であるか否か」にあるのは一目瞭然ですが、おそらく、これすら「背景や理由の一つに過ぎない」と私自身は感じておりますが、、、
ちなみに、先ほどの『 検査数が増えないのには・・・他にも「背景」や「理由」が存在している・・・ 』との部分の、「背景」や「理由」というものは、到底筋道の通る正当な(真っ当な)背景や理由では全くなく、それどころか、全く「真逆」なものである事は「火を見るより明らか」です、、、
では、現実的な側面から、少し視点を飛躍させまして、締め括りと致しまして、今回のテーマの趣旨に入って参ります!
そこで繰り返しですが、
「パンドラの箱」に入れられていたもの・・・それは・・・人間の「感情」・・・
つまり・・・
箱の中身は、私達の「内面にあるもの」・・・
です。
しかし、これ迄のどこかの時点で、
「誰か」が・・・
何かしらの「意図」を持って・・・
箱の中身を・・・
私達人間の「外面にあるもの」にすり替えた・・・
という事がなされてしまっているように強く感じたりもします。
そして、
すり替えただけなら、まだしも・・・
「希望」を・・・
「覆い隠して」しまった・・・
という点が、今回のコロナに限らず、昨今の様々な情勢の「反映」から見て取れます。
が、しかし、更に、