PCR検査等(が増えない背景や理由)はパンドラの箱???:開けてみると希望がある

仮に「あなた」一人だけは(感染せずに)大丈夫だとしても・・・

「他の全員」が感染しているとすれば・・・

「あなた」だけが隔離されているのと同じ事・・・

 

になります。
この新型コロナウイルスという問題には、「コミュニケーション」という面が多分に「隠されて」いるという「反映」であるのかもしれません、、、
そして、「コミュニケーション」とは「他者」のみならず、「自分自身」も含まれているという面も、、、

 

そろそろ・・・

「あなた」もご自身の「パンドラの箱」を・・・

「開けて」みても良い頃合いではないでしょうか・・・???

 

なぜなら、

 

「開け」ない事には・・・

「希望(という可能性)」も・・・

「発見」出来ない・・・

 

からです。
そして、これを今回のテーマに当てはめてみると、

 

検査をしない事には・・・発見出来ない

検査をすれば・・・(全てではないが)発見出来る

 

という事にもなります。
そして、この趣旨は「あなた」そして「私(達)」に検査を強制するという意味合いではなく、検査をいつでも誰でも受けられる態勢を(今からでも至急に)整えておく必要性があるという意味であり、これは他の国から「学ぶ」(結果判明までのスピード感も含め)という視点でも、それなりの効果が見込まれる事は既に実証されている事でもあります。

これが「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」の意味とも結び付いていきます。
なぜなら、「歴史」とはある種の「過去」であり、「過去」には「昨日」、はたまた「一瞬前」も含まれているからです(笑)

 

そして、繰り返しですが、物事に「100%という完璧」はありません。
しかし、それが「しない(しても意味が無い)」という「不作為」の「背景や理由」にはなりません

不可能な極論を言えば、仮に、全世界の人間が、ある同じ時点で一斉に検査をし、そして、その直後に結果が判明し、(治療という側面も含め)陽性者と陰性者に分ける事が可能であれば、そこから約2週間後には「ほぼ100%に近い」確率でコロナは(ひとまずその段階では)収束しますだからと言って、コロナウイルスが全消滅する事はありませんが)。

しかし、「今」の日本の現状のように、可能でもあり出来る範囲の事すら、、、