現代の魔女狩りは次元を超えた??? ~責任転嫁やレッテル貼りが極まると・・・~

そして、出版からおよそ100年後の16世紀終わりに、不作や天候不順などの様々な出来事がヨーロッパに起こっていきました。
このような人々の中の不安が引き金となり、魔女狩りが爆発的に広がっていった、、、というのが、今回のTOPICSの最初の場面へと(戻る形と)なっております。
そして、この事に関してもベーリンガー教授は、

ベーリンガー教授:
『 魔女狩りが拡大した時代は、まさに社会が大きな危機に陥っていたのです。

  小氷期と呼ばれる、寒冷な期間が続き、凶作によって特に農村部は深刻な危機に直面していました。

  これらの自然界の変化に、人々は捌(は)け口を求めました。

  全ては魔女の仕業にされたのです。 』

 

と述べておりました。
そして、このクラーマーの本により、一般の人々までが魔女狩りが出来るようになり、これを仕事として稼ぐ人まで現れてきました、、、

 

いわゆる賞金稼ぎとも言えるかもしれませんが、1640年代のイングランドにおいて、魔女狩り将軍と名乗っていたマシュー・ホプキンスという人物がいました。
彼は各地を訪れ報酬を受け取り、数百人を魔女として処刑していきました。
そして、そのやり方というのが、ホプキンスの著書に残っておりました、、、

ホプキンスの著書より:
『 なかなか白状しない、しぶとい魔女の場合は、その子どもを逮捕するとよい。

  逮捕した子どもをうまく扱えば、母親と相反する申し立てをするからである。 』

 

このようなホプキンスの「分断」というやり方により、家族であっても信用出来ない世の中になっていきました。
そして、魔女としては「女性」が対象であったものが、男性や権力者等にまで広がっていった事例も出てきました。

 

それは、ドイツ南部の都市バンベルクにおいて、1600年代前半に町のあらゆる階級、約900人が魔女狩りで殺されました。
ちなみに、現在のバンベルクでは、魔女狩りの犠牲者を伝える、通称、魔女の塔が残されており、この塔では約400人が拷問を受けていた事が分かっています。
また、バンベルク図書館には、魔女狩りに関する調書や記録が約900点保存されており、当時を伝える貴重な資料となっています。

 

では、話を戻しますと、当時のバンベルク市は、カトリックの司教が所有する領地の一部でした。
そして、魔女狩りを支援する人々が、この地の領主である司教に続いていきました。
そして、この領主というのが、 バンベルク司教である、ヨーハン・ゲオルク2世、別名「魔女司教」と言われる人物でした。

1627年、このバンベルクでの魔女狩りの対象は、突如、権力者などの特権階級へと向かっていきます。
それは、市議会議員の長男である、14歳のハンス・モアハウプト少年に起こった事から始まりました、、、