現代の魔女狩りは次元を超えた??? ~責任転嫁やレッテル貼りが極まると・・・~

では、気を取り直して、先に進めて参ります!

 

そして、このような魔女という存在が生み出された事には、あるキッカケがありました、、、
実は、ここ迄のような、悪魔との契約を交わした事により魔女になるという、「新しいイメージ」が広まったのは、16世紀以降になってからの事でした。
そして、その始まりとなったのが、たった一人の聖職者でした、、、

 

その聖職者というのが、異端審問官として、15世紀後半にドイツで活動していた、ハインリッヒ・クラーマーという男性でした。
そして、この異端審問(官)というのは、カトリック教会が「正統」と認める教義から逸脱した教えを「異端」とし、宗教裁判で裁く事であり、つまり、カトリック内部での裏切り者を見つけ出し、糾弾する裁判官のような役割を担っていました。

そして、異端審問官としての功績(?)により、クラーマーはローマ教皇のインノケンティウス8世から直接に権限を与えられていました。

そして、クラーマーは1485年に、オーストリアのインスブルックという町を55歳の時に訪れ、ここで通常とは違う異端審問を開始していきました。

この、通常とは違う異端審問(というやり方)が、、、魔女狩りの始まり、、、となっていきます、、、

 

この時、クラーマーは50人もの女性に魔女の疑いをかけて逮捕し、手続きに沿わないやり方で進めていきますが、しかし、この時にはまだ、魔女は悪魔の下僕(手先)という考え方(先ほどの「新しいイメージ」)は、世の中に定着している状況ではありませんでした。
そして、この点に関し、ベーリンガー教授は次のように分析しております。

ベーリンガー教授:
『 クラーマーは「魔女術は重大な罪である」としました。

  さらに「この世の終わりが迫っているので、魔女は徹底的に撲滅しなければならない」そう述べています。

  彼は終末思想が強く「この世の終わりが来る前は、悪魔の力が特に強くなる」と信じていました。

  そして、まさに今、悪魔が自らの信奉者である魔女を増やしている、と信じ込んでいたのです。 』

 

勿論、当時の弁護士のような存在の人々は、このような迷信に真っ向から反論し、その事により、クラーマーはこの地での自ら手がけた魔女裁判に負けていきます。

が、しかし、、、このような結果が、、、逆に、、、クラーマーに火を付けた!?ような状況に突き進んで行く事となりました。

 

そこで、クラーマーは、魔女撲滅を目指す為の解説書として、『魔女への鉄槌』を1486年に執筆・出版します。
この本の中には、魔女を見極めるポイントや、容疑のかけ方、尋問・拷問のやり方などをまとめた箇所もあり、さらに、たとえ犯罪者の証言であろうとも、魔女を告発する為には認められるべきだ、などの自説を繰り広げていきました。
そして、この本の中では、

 

「女性全般」が悪魔に取り込まれやすい・・・

と言及していたが・・・

その理由が・・・

「女性への偏見」・・・

 

であった事が明らかになっていきます。
そして、この点に関し、先ほどのヒルテ館長は次のように述べております。

ヒルテ館長:
『 この「魔女への鉄槌」が危険なのは、魔女を巡る思想の歴史において、初めて女性に焦点を当てた事です。

  「魔女への鉄槌」が出版される前までは、魔女術は男性も女性も犯す可能性のある罪でした。

  しかし、この本によって、「女性こそ危険な存在」となってしまったのです。 』

 

そして、この本は3万部が世に出たと言われており、ヨーロッパの人々に魔女狩りという発想が浸透し始めていきました。