コミュニケ-ションにおける人の評価(見方)の違い ~実例から~

私のお話:
『 彼と色々お話をさせて貰いましたが、今時の若者としては、絆や正義感などを大切にしている素敵な思いも持っているようでしたし、彼ともここでのお話は私との間だけの事で、ご祖父さんには全てを伝えないとも私は彼と約束をしました

  なので、その辺りはご祖父さんにもお伝えする事は出来ませんが、ただ、彼に一つだけ、ご祖父さんに伝えても良いですか?と了承を貰ったがあります。

  それが、彼は「彼女の為にも、二度と喧嘩しない!」と話してくれた事です。

  お孫さんを信じてみては如何ですか? 』

 

と(笑)
では、ここからは私の推測と、少し穿った?評価(見方)も入るかもしれませんが、仮に、ご祖父さんとお孫さんが、校長先生に対する「評価(見方)」をそれ迄(ここ迄こじれる状況)の間にコミュニケ-ションを取っていたとしても、その「評価(見方)」はおそらくそれぞれ変わってはいなかったとも感じます。
そして、それはそれで別に構わない事でもあります。

ただ、私がご祖父さんとお話していて、一点、とても気になった点がありました。
それが、

 

(この)ご祖父さんは・・・

過剰な位?に・・・

世間体を気にし過ぎている・・・

 

と感じた事です。
そして、何より、

 

その世間体というのが・・・

孫の事を思う気持ちからではなく・・・

ご自身の名声を汚されたくない?・・・

 

との思いから強く出ているのでは?と私自身としては、ご祖父さんから窺うお話の端々(はしばし)に、強く感じたのを今でも覚えております。
もしかしたら、地元の名士だから(失礼の無いように、、、)との「ニュアンス」で私が知り合いから伝えられたのと同様に、このご祖父さんも名士として多くの方から接せられてきて、また、だからこそ、校長先生にも自分がされているような接し方をしてきたのかもしれません。
これもよくある事なので、良し悪しという問題でもありません。
ただ、

 

世間体を気にし過ぎるあまりに・・・

それが「無言」でお孫さんにも伝わって・・・

逆に世間体を気にせざるを得ないような状況を創り出してきた・・・

 

のかもしれません。
そして、

 

世間体に対する「怖れ」が・・・

お孫さんとのコミュニケ-ションを取る「怖れ」に繋がり・・・

結果的に、コミュニケ-ションにおける「隙間」を広げてきた・・・

 

のかもしれません。
つまり、「お孫さんとのコミュニケ-ションを取る「怖れ」に繋がり」の、真の「怖れ」とは、