こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、前回のTOPICSでは、今から6~7年程前、私が青森に戻って来る前の、東京で色々と準備をしていた当時のカウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)に関する実例をご紹介致しました。

ちなみに、前回のTOPICSをお読みになって頂けた方の中には、お分かりになった方も、もしくは、お分かりにならなかった方もいらっしゃるかと思われますが、このTOPICSでも繰り返しお伝えしておりますように、ヒプノセラピーとは必ずしも目を瞑(つぶ)ったり、リラックスチェアで受けたり、静かで薄暗い?環境でなければ出来ないというものではありません。

 

ヒプノセラピーの本質は「コミュニケ-ションを活用したセラピー」でもあり、私の場合では、クライアントの方に役立つ面を感じ、そして、望んでいる方向性への後押しのような感じで、通常のカウンセリングの中にも取り入れたりしております。
勿論、クライアントの方は、私と話している会話の中にヒプノセラピーの手法が活用されている事には気づきませんし、単に普通に話しているようにしか感じていない事が圧倒的に多いかとも思いますし、それで全く構いません(笑)

なお、クライアントの方の意思に反するような、また、クライアントの方をコントロールする(操る)ような目的では一切活用しておりませんので(また、そのような事は不可能でもありますので)、どうぞご安心下さい!!!

 

少し話が逸れましたが、この当時は、同時にレイキ ヒーリングに関しても、1年程の期間を掛けて、色々な講義や実践・修練を積んでいた時期でもありました。

そのような中、レイキ ヒーリングにおいては、直接のヒーリングも数多くさせて貰いましたが、遠隔ヒーリングの方がご依頼もしやすい(遠方である、体調が悪く外出が難しい、自分ではなくご家族にして欲しい)などの理由で、結構な数の遠隔ヒーリングもさせて頂きました。
そこでの遠隔ヒーリングの実例において、私が深く「寿命」というものを考えさせられた、お二人のケースがございますので、今回は「遠隔ヒーリングから考えさせられた「寿命」 ~実例から~」というテーマをお届け致しますが、皆さんも何かの折の考える素材としてみて下さい!

 

なお、今回の実例に関しては、「死」との直面という性質のものが含まれますが、そこで「(笑)」の表現を用いるのは不適切感を免れないかもしれませんが、このような「死」との直面を避ける方向性に向かってしまうと、結局は、何も考えたりしなくなる事こそが一番の損失?とも呼べるものでもありますので、出来るだけ皆さんのご心情を損なう事の無きよう、また、可能な範囲内で今回も今までのTOPICS同様、「(笑)」の表現も活用して参りますので、是非、皆さんも、あまり肩肘張って固くなる必要性もございませんので、いつも通りお読み進め頂ければ幸いです!

また、「寿命」というテーマではありますが、今回は「魂の視点」は活用致しませんので(笑)

では、まず、最初に、

 

「寿命」に関しては・・・

私にも未だに答えのようなものは見つかっておらず・・・

日々、考え続けている所・・・

 

というのが、正直な本音でもあり、事実でもあります(笑)
ただ、あくまで、「今の私」が感じる部分ではありますが、

 

生命(活動)においては・・・

「入り口」と「出口」があるのではなく・・・

「入り口」と「出口」は同じものであり・・・

「双方向性」で繋がっている・・・???

 

というような感触を受けています。
勿論、この先には、この感触も変わる事もあるかもしれませんが(笑)
では、ここからは、有り難く遠隔ヒーリングをさせて頂いた、お二人の実例からご紹介して参ります。

 

なお、ここでの遠隔ヒーリングの実例においては、私一人だけが行ったものではなく、複数の方々が関与され、故に、遠隔ヒーリングが施された時間や回数なども、関与された人それぞれで違いもあるのが前提の上で相成った結果(事象)である事は、正確性を期す為にも、事前にご理解頂ければと思います。

また、今回のお二人に関しては、私は、ほぼ毎日、30分~1時間程の遠隔ヒーリングをさせて頂いたものでもあり、それと、遠隔ヒーリングをさせて頂いたお二人に関しては、そのご本人様は遠隔ヒーリングを受けている事は全く知らないという状況のものです。

 

では、まず、お一人目は、お母様が長年脳腫瘍を患っている事による、娘さんからのご依頼でした。
そのお母様は脳腫瘍の影響で、次第に両目が失明の状態になり、体調も悪化して入院した所、医師からは、ほぼ保たないでしょう、、、と告げられ、治癒を望んでいるのではなく、『母に僅かでも(目に)光を取り戻させてあげたい』とのお話でした。

 

そのような状況の中、3~4日ほど遠隔ヒーリングをさせて頂き、娘さんからお母様の状態のご連絡を頂きました。
すると、お母様が『以前のような真っ暗闇ではなく、ここ何日かは、(目の中に)時折チラチラしたものを感じる』とお話されているとの内容でした。
そこで、お互いに喜ばしくも感じ、引き続き遠隔ヒーリングを続けさせて貰う事となりました。

 

そして、期間の定かな記憶は忘れましたが、2~3週間ほど経った頃に、お母様が確か緑膿菌による院内感染を発症し、医師からは菌の数値を下げる治療に変更するとの方針になったと、娘さんからご連絡を受けました。
そこで、私も遠隔ヒーリングの内容を(目から菌へと)変更して続けて行う事に致しました。

 

そして、1~2週間ほどヒーリングを行っていた所、菌の数値は正常に近づきつつあり、娘さんと共に安堵しておりました。
が、しかし、その直後、心不全か肺炎だったかは定かではありませんが、お母様は他界されました。
このように(勿論、全く関連性が無いとは言えないケースもある事と思いますが)元になっている病気が原因ではなく、別の(あるいは重なったのかもしれない)と思われる原因で他界されるというのは、確かに起こりがちであるのかもしれませんが、これが一つ目の実例です。

 

では、次のお二人目は、これもお母様に持病があり、在宅療養をされていた所、体調が悪化して寝たきりになり、訪問医に診察して貰った所、ここ1週間ほどかもしれません、、、とのお話で、幾分かでも救いになればとの娘さんからのご依頼によるものでした。
そこで、2~3日の遠隔ヒーリングをさせて頂いた所、布団から起き上がれるようになったのみならず、大好きな家事や洗濯までして、お母様は活き活きし出したとの嬉しいご連絡を貰いました。

 

そして、その数日後に、、、ご自宅にて、お母様は他界されました。
その死因の診断をした訪問医によると、虚血性心疾患による血栓が原因であり、『これは予期する事がほとんど出来ないものですが、おそらく寝ている間の出来事で、お母様は気づく事も、苦しむ事もなかったと思いますよ』とお話されたとの事でした。

 

そして、このお二人の娘さんからは、感謝のご連絡を頂き、そして、悲しく寂しくはあるものの、この先のご自身の人生を精一杯生きていきます!との、力強いお言葉も添えられておりました。

では、今回の二つの実例はここで終了ですが、このような実例からの「寿命」の捉え方においては、ともすると、

 

治ったのであれば、それは「寿命」ではなかっただけ・・・

(結果として)他界したのであれば、それは「寿命」と(都合良く?)解釈しているだけ・・・

 

との見方も成り立ちますし、そのようなご意見の方が多いのかもしれません。
これはこれで、良し悪しの問題でもなく、また、言い訳や弁解の類いとも違う性質のものでもある事でしょう。
ただ、私個人としては、

 

治ったから「寿命」ではなく・・・他界したから「寿命」である・・・

 

との見解は取らないように心掛けております。
なぜなら、「治る = 寿命ではない」「治らなかった(他界された) = 寿命であった」と捉えてしまうと、

 

これも・・・

「二者択一」という視点に陥りやすくなる・・・

 

と捉えているからです。
そして、何故、この「二者択一」に陥るのを防ぐのかと言いますと、

 

(「二者択一」にこだわり過ぎると)次第に「考える」事を放棄する事に繋がりやすくなるから・・・

 

です。
つまり、

 

治ったとしたら、それはとても喜ばしい事ではあるが・・・

仮に、治らなかったら・・・どうしよう・・・

という「怖れ」が・・・二の足を踏ませる・・・

 

という不作為の「行動」にも繋がりやすくなるからです。
つまり、

 

「過程」には目を向けようとしなくなり・・・

「結果」のみに目を向け過ぎてしまうが為に・・・

何かしらの「行動」に移し辛くなっていく・・・

 

という事です。
勿論、死んだら寿命!治ったら寿命じゃない!との、「大胆な割り切り」も役立つ事でしょうし、それもそれで良いと思います(笑)

また、現代では、多くの場合に、医師による治療は基本でもあり最低限として受けるケースが圧倒的に多いでしょうから、この「二者択一」においては、「治療そのものの有無」というよりも、例えば、抗癌剤の投与や延命治療などの「治療内容に関わる有無」というケースで考える事の方が多いかとも感じます。

なお、この「二者択一」に陥らないという意味においては、ヒーリングなどの活用の是非や推奨をしている訳では全くありませんので、その辺りも誤解の無きようお願い申し上げます(笑)

そして、ここが先ほどの、

 

「過程」に目を向けるとは、「考える」事と繋がり・・・

「結果」のみに着目するとは、「考える」事から遠ざかっていく・・・

 

という意味になります。
そして、ここ迄で、充分にお気づきかと思いますが、「寿命」という命題については、「理路整然」には、、、なかなか進まない、、、という点です。
書いている私も、その辺り(理路整然としない点)は充分な「自覚」を持って今回は進めております(笑)

そして、

 

「寿命」に答えや正解が有るのか無いのかは分からないし・・・

答えや正解があったとしても・・・

それは複数(人の数ほど)あるのかもしれないし・・・

それこそ、間違いはそもそも存在していない・・・

 

のかもしれません。
ただ、いつの時代であっても、どのような時代であっても、答えの無い?最大の命題というのが「寿命」というテーマであるのかもしれません。
そして、答えが無い(見つからない)からといって「考える」事を放棄するのではなく、

 

答えの無い(無さそう)なテーマに行き着いた時には・・・

「考え続ける」・・・

という「姿勢」そのものが・・・

「答え」となる(なっている)・・・

 

のかもしれません。
そして、ここには、希望や生きる勇気や生き甲斐などの、ポジティブな意味での「諦めない!」という「姿勢」も含まれております!
なお、ここ迄の内容において、誤解を生じさせているといけませんので、改めてお断り申し上げます。

それは、「二者択一」に陥らないという視点と、「諦めない!」という視点においては、ご病気などの際に、何か他の色々な治療法などを積極的に試みたり導入する事を推奨している訳では決してありませんし(それの裏返しとして、新たな治療法などを否定している訳でもありません)、また、色々と考えた上で(他の治療法は選択せずに)現状の治療などに専念する姿勢などを否定する趣旨でも全くありません。

「心と体は繋がっている」との観点における、「考える」という「姿勢」についての視点でもあり、また、あくまでご本人様の意思(ご本人様が意思表示を出来ない状況ではご家族などの意思)を尊重する事が大切であり、その上で、「出来る事と出来ない事」などを「考えていく」という観点でもありますので、その辺りの趣旨に関しまして、重々取り違えの無いよう、重ねてご了承とご理解頂ければ幸いです!

そして、今回のようなテーマにおいては、

 

「寿命や死」を考えるという事は・・・

決してネガティブなものではなく・・・

逆に・・・

「今の生」を充実させる為に他ならない!

 

という点だけは、常に頭の片隅に入れて置いて頂き、そして、考える際の「出発点」としてみて下さい!
なぜなら、「寿命や死」というのは、特殊なテーマに思えるかもしれませんが、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております通り、

 

物事や出来事は・・・大なり小なり・・・それぞれを反映している

 

という側面があり、

 

「寿命や死」を自分なりに考えてみる事で・・・

全く関連性が無い(と思い込んでいた)日常の問題や課題についての・・・

「ヒントや気づき」がもたらされる事が(往々にして)ある!

 

からです。
そして、今回のTOPICSの内容は、なかなか捉えづらくもあり、読みにくさを感じた部分もあるかとも思います(笑)
そこで、今回のような答えの無い(見つけ辛い)テーマにおいて、「今の私」が考える道具?としているのが、

 

創造の源は・・・

「3(トリニティー)」にある・・・

 

という素材です(笑)
つまり、

 

これか?・・・あれか?・・・という二者択一ではなく・・・

これも!・・・あれも!・・・という発想に繋げてくれる・・・

第3の「何か」が・・・「何で」あるのか???

 

というものです。
益々、訳が分からなくなったかもしれませんね(笑)
この先は、皆さんなりの自由な発想で、今回は「寿命」という重めのテーマではありましたが、それに限らずとも、「今の生」を充実させるという観点からも、色々と考えてみて下さい!

ちなみに、今回のテーマと深い関連性があるのが、2018年5月5日のTOPICS「200回目のTOPICS ~「死」に「理由」は必要か?~」も参考になるかもしれませんので、興味のある方は覗いてみて下さい(笑)

 

それと、チョットだけ余談ですが、私は先ほど「「寿命」という命題については、「理路整然」には、、、なかなか進まない、、、」とコメント致しましたが、これが何故なのか?というのは「あらゆる面」に応用可能ですので、それをお伝え致します。
では、何故、「理路整然」に進み辛いかと言いますと、

 

(様々な事象や視点が)「重なって」いる

 

からです。
例えば、皆さんも小さい頃に、絵の具で「青色」と「黄色」を混ぜて、「緑色」を作った事があるかと思います。
しかし、

 

「緑色」という事象(現象)を目の前にして・・・

その「緑色」そのものから・・・

「青色」と「黄色」を表現(説明)するには、なかなかの困難が伴う・・・???

 

ような感じです(笑)
あるいは、ジグソーパズルの「全体(完成)像」と、それを彩っている「一片のピース」との関係とも似ています!

どのようなケースでも表現や説明が不可能という事では決してありませんが、単に、今回のテーマに関しては、私がまだ「理路整然」にお伝えする事の出来る境地?に至ってないだけの事ですので(笑)