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不等号「>・<・≧・≦」を活用して「本質」を知る

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「不等号「>・<・≧・≦」を活用して「本質」を知る」というテ-マをお届け致しますが(ちなみに、顔文字ではありません 笑)、今回取り上げる題材などに関しても賛否を含め、様々な意見や考え方があるのが当然ですし、私の見解が正しい訳でも良しとするものでも全くありませんし、また、批判や非難などの趣旨でも決してございません。
なので、様々な視点の内の一つという意味合いで、皆さんなりの自由な発想で「本質」を考える素材としてみて下さい(笑)

なお、私のTOPICSにおいては、このような断り書きや、事前にご了承の旨をお伝えするケ-スも多いですが、これは、もしかしたら、このTOPICSが目に留まる機会が一生に一度しかない方もいらっしゃるかと思われますし、そのような際にも、ご不快な気持ちや誤解を生じさせないよう、自由に思いを巡らせて頂きたいとの趣旨ですので、毎度繰り返しで恐縮ですが、ご理解頂ければ幸いです(笑)

 

では、進めて参りますが、まず取り上げる題材は学校における3つの話題からです。
1つ目は最近のものですが、東京の銀座の公立小学校において、標準服としてアルマ-二の制服を取り入れるという題材です。
これにも賛否両論が飛び交っていますし、公立という観点から如何なものか?という意見も多くある模様です。

では、2つ目の題材ですが、これは昨年に大阪の府立高校において、元々の地毛が茶色っぽいにも関わらず、黒く染めるよう校則で強制したというニュ-スですが、人権絡みの問題としても、世界各国からも様々な意見が出され反響が大きかったものです。
中には、校則に沿うとしたら、教師が白髪染めをするのも強制するのか?といった意見も出ていた模様です。

 

まずは、皆さんはこの二つの題材から、どのように「本質」というものを連想しますでしょうか?
厳密に言えば、「本質」を考えるキッカケとなる「何か」です(笑)
この2つにおいては、比較的多くの方が感じる点かもしれませんが、小学校の保護者の方々に事前説明も全くなかった点と、高校における校則では生徒の意見が反映されていないという、

 

(どちかと言えば)「一方的に過ぎる傾向」がある

 

という点が見受けられます。
ただ、中には、保護者や生徒の意見をいちいち反映させていたら、何も物事を進めなくなってしまい、校則そのものの意味も無くなって、何でも有り!になってしまうという見解もある事でしょう。
しかし、年齢的にも高校生と言えば、かなりの自覚も出てきている頃合いですし、小学生の保護者の方であれば、社会一般においては年齢的な意味でも、充分な自覚が備わっていると判断される事かとも思われます・・・

 

では、3つ目の題材ですが、これは学校における事故の問題です。
独立行政法人 日本スポ-ツ振興センタ-(JSC)が平成27年度の調査を行った所、学校全般における体育祭やスポ-ツの部活動などにおける事故の統計は、大なり小なりを含めると約108万件程になるそうで、体育祭や運動会(騎馬戦や、むかで競争などを含め)における絞り込みをすると約13,000件となり、その中でも組み体操(タワ-・ピラミッドなどを含め)に絞り込んだ事故統計では、年間8,000件程の件数になっているとの事です。
そして、この組み体操絡みの統計を単純計算すると、1日に約21件の事故が起こっている事にもなります。
そして、この調査においては、昭和45年度からの累計として、死亡事故や重大な後遺症が残っているケ-スも多くの件数が報告されています。

 

そして、このような事故が多発している事もあり、最近ではあまりにも危険を伴う組み体操などは行わないよう通知もされている模様ですが、この調査においては、実際に行っている生徒さんの感想として、「充実感・団結・感動・・・」などの意見も多いとされています。
勿論、あらゆる危険性を排除するという観点のみでは、体育際やスポ-ツの部活動、そして、体育の授業そのものが行えなくなってしまう面もあるかもしれません。
鉄棒や跳び箱などでは、介助者が側にいたり、マットを敷く事などで、100%ではないにせよ、ある程度の事故を防ぐ為の措置が取られているケ-スもある事でしょう。

 

では、この3つ目の題材では、一応生徒さんの肯定的な感想なども取り上げられているとの観点に着目した際に、最初の1つ目と2つ目の「一方的に過ぎる傾向」という点は、ある程度はクリアされているように見受けられるかもしれませんが、「本質」を考えるキッカケとなる「何か」を皆さんはどのように考えるでしょうか?
どのような考えでも自由ですよ(笑)
そこで私の視点の一つですが、生徒さんの感想にあるように、「充実感・団結・感動・・・」などを達成する際に、

 

他に、より危険性の少ない「何か」もあるのでは?・・・という「想像力」を活用して話し合った事があるのか?

 

という点です。
学校教育という現場では、どうしても「先生から生徒へ」と一方的になりがちになる傾向があるのも理解出来ます。
ただ、組み体操は学習指導要領でも記載されておらず(かなり以前には記載されておりましたが)、昔からの伝統だから、他の学校でも行っているから、などの理由で、何となく漫然と教育の一環として行われてきた事と考えられます。
なお、私は全ての組み体操が危険という趣旨でコメントしている訳ではありません(安全に行えるものもありますので)。
ただ、このように以前からあまりにも事故件数が多いのと、死亡・重大事故にも繋がっているにも関わらず、その点に目を向けようとしてこなかったという観点に関して言えば、

 

あまりにも「想像力」が欠如していた・・・

 

との、厳しい意見が出ても致し方ないようにも感じます。
では、ここ迄で「何を伝えたいの?」「不等号はどうなったの?」と感じられている方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に整理していきます(笑)
まず、

 

「本質」とは、もの凄く広い観点から捉えれば、「全ての本質」は「ある一点に集約」されますが・・・

様々な状況においては、「本質」は「一つのみ」ではなく「多角的な面」がある・・・

 

という表現が可能です。
そして、先の3つの題材から、私は「本質」に導かれる「何か」として、

 

「一方的に過ぎる傾向」と「想像力の欠如」

 

を取り上げました。
そして、この「本質」に導いてくれる「何か」に光りを照らし、映し出してくれるもの、それは・・・

 

(イメ-ジとしての)不等号「>・<・≧・≦」

 

です(笑)
小・中学校で習ったものですが、お忘れ?になっている方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単におさらいしてみます!
ちなみに、私もこのTOPICSを書くに当たりまして、忘れていたり不安な面もありましたので、再度調べ直して勉強しました(笑)

 

「>・<」は、より大あるいは小
「≧・≦」は、より大あるいは小、または等しい

 

です。
なので、「5>3 〇」「3>3 ☓」「3≧3 〇」というようになります。
そこで、少し社会的な視野を広げて捉えてみますが、あくまで私個人が感じる「面」ですので、皆さんはどのように捉えて頂いても全くの自由です。
それは、

 

沖縄県の基地・事故問題における「アメリカ>日本(政府)」そして「(日本)政府>沖縄県」
原発問題における「経済>安全」

そして、現在行われている冬期オリンピックにおいては(政治はひとまず置いておきますが)、

(放映権の問題における競技開始時間等について)「商業(主義)>アスリ-ト」

 

という図式になっているように感じてしまいます。
これが「一方的に過ぎる傾向」と「想像力の欠如」から生み出されているのでは?・・・という点ですが、

 

上記の図式は全てが「>・<」で表現されている

 

ものです。
そして、このような行き過ぎた面があるのでは?と感じられる状況に対して変化を望む際に活用出来るのが、もうお分かりかもしれませんが、

 

「≧・≦」で表現可能なもの

 

になります。
現在の社会や世の中では、確かにあらゆる意見の全てを反映させるというのはかなり難しい事とも思われます。
そして、誰かや何かの「犠牲を強いる」という意味では無く、ある「一定点」での選択と決断は必要になってくるのも実状ではあります。
では、もう一度、不等号の「≧・≦」を見ていきます。
まず、これに数字を当てはめてみます。

 

5≧3は正解ですが、これは、5より3は大きいという意味のみならず、どちらも「3(まで)」を含んでいる

 

という意味です。
では、これに様々な考えや思いの例としてアルファベットを当てはめてみます。

 

A(という考えや思い)≧B(という考えや思い)

 

になります。
これは数字ではなく考えや思いでありますので、厳密にどちらが「大きい・小さい」でも表せませんし、ましてや一概には「正しい・間違い」との表現も当てはまりません。
そして、「≧・≦」においては、

 

「A」と「B」では違いがあっても、共通する「何か」が両方に含まれている

 

という点です。
そして、

 

この共通する「何か」が・・・(様々な状況における)「本質」

 

です。
そして、

 

不等号「≧・≦」の中に存在する、等号「=」で結ばれるものが「本質」

 

となります。
そして、

 

等号「=」を可能にするのが・・・コミュニケ-ションや対話

 

となります。
つまり、「一方的に過ぎる傾向」や「想像力の欠如」としての、不等号「>・<」のみでは、

 

様々な分断や差別・格差を生じてしまう・・・

 

という点に繋がってしまいます。
そして、先ほど「本質」は「一つのみ」ではなく「多角的な面」がある・・・とお伝えしたのは、逆に数字で表現される「5≧3」などのイメ-ジの方が理解しやすくなるかと思いますが(数値はあくまで仮のものです)、この、

 

等号「=」に含まれる「3(つ)」の共通の考えや思いが存在しているのは事実であり・・・
「(5-3=)2(つ)」においては、構成する考えや思いに相違があったとしても・・・
どちらも「3(つ)」の点では、お互いに「成り立つ」事が可能である・・・

つまり、

(「3(つ)」の)「本質」を探し出す事で、お互いに理解し合える点を、複数見つけ出す事が出来る

 

という状況に変化していきます。
広い意味での「本質」は「ある一点に集約される」とお伝えしましたが、私達が通常の日常生活を送っている中での、人間関係や出来事においては「本質」の「多角的な面」が介在している事がほとんどです。

迷いが生じた際などには、「本質」には「多角的な面」もあり、「違いの面(>・<)」のみに目を向けるのではなく、「共通する面(≧・≦)」にも目を向ける事で、「解決策も複数みつかる」という方向に繋がっていくケ-スがありますので、どうぞ、自分自身にも他の人にも、あまり厳しい目のみを向けることなく、少し「視野」を広く持ってみて下さい(笑)

 

そして、ここからは身近にある「本質」を知るという、最近の私の体験談をご紹介致しますが、これも批判や非難でもありませんし、私の中の怒りなどの感情を吐露している訳でもございませんので、誤解の無きようお願い致します(笑)
その体験談とは、とあるお寺さんとの間での事ですが、特に最近はお葬式やお墓のトラブルも急増しておりますし、私も行政書士の仕事をしていた折にも、幾つか同種の相談を受けた事もあります。
では、ご紹介して参ります!

 

私の母は6年前に他界しておりますが、その当時は私は東京で生活をしておりました。
なので、青森県内や五所川原の風習などもほとんど知らないため、葬儀会社さんにお坊さんなどの手配も含めてお願いしました。
そして、ちょうど今年が7回忌に該当している事もあって、お葬式においてお経をあげて頂いたお寺さんからハガキが届きました。
そして、そのハガキの中に、「維持・管理費の未納分があるのでご請求します」との趣旨の文言が入っておりました。

 

私はそのお寺さんにお墓がある訳でもないし、位牌の管理などの依頼もしてませんでしたし、いわゆる檀家契約(書)なども交わしておりませんので、電話をしてお話を聞いてみました。
ちなみに、最近のトラブルで多いのは、檀家さんを抜ける際に高額な請求をされるケ-スがありますので、もし檀家さんになるようでしたら、事前の説明をちゃんと聞いた上で、檀家契約(書)を交わしておくのが不要なトラブルを避ける為にも必要になると思います(笑)
すると、そこのご住職さんが、

 

「当方では一度お経をあげた人は、全て檀家とみなして請求しています。」

 

とのお答えがありました。
私は葬儀会社さんにお願いした際に、そのようなお話もありませんでしたし、そのご住職さんからもそのような説明は今までされておりませんでした。
そこで、私はお墓なども管理して頂いておりませんが、維持・管理費とはどのようなものなのでしょうか?とお尋ねしました。
すると、

 

「お寺を維持していくために必要なもので、そうしなければお寺の経営とは成り立たないのですよ。」

 

とご住職さんはお答えになりました。
そして、私は、それでは7回忌のお経だけをお願いする事は出来ますか?とお聞きした所、

 

「檀家でなければ法要などは一切受ける事は出来ない。」

 

とお答えになりました。
確かにお寺を維持・経営していくには、お布施や寄附などのお金も必要になりますし、また、檀家さんでなければ法要などを執り行わないお寺さんがあるのも知っておりましたので、ここまでの所はお寺さんの様々な方針などもあるのであろうとの思いで、それ以上はあまり気にしませんでした。
ただ、ご住職さんの最後の言葉には正直驚きました(苦笑)
それは、

 

「檀家でないのであれば、今後は一切無関係という事にしますので。」

 

と・・・。
その時、私個人としては、「同じ結論を伝えるにせよ、私であれば次のようにお伝えするであろう・・・」と、それは、

 

「それでは、またのご縁が結ばれましたら、その際は寄り添わせて頂きますので、お気軽にお話し下さい」

 

と、お答えするであろう・・・と。
私は仏教もほとんど知りませんし、全くの素人ですが、

 

仏門に入る事そのものが・・・「ご縁」という結び付きであり・・・
お坊さんとは「言葉」を活用して「説法」などを行い・・・「心」に寄り添うもの・・・

 

という程度の事は理解しているつもりです。
繰り返しですが、批判や非難でもありませんし、この私の体験談から皆さんは、このようなケ-スでの「本質」をどのように考えるでしょうか?(笑)
ちなみに、最近では私のようなケ-スが多いため、お坊さんの派遣サ-ビスなどを行っている会社さんもありますが、私の所では、これを機に?お坊さんを介さずに、少数ながらも家族・親類で楽しい食事をする事で、7回忌という供養をする事に決めました(笑)

 

そして、同様に最近では、環境の変化や経済事情などもあり、お墓を持てない、ましてや、檀家としてのお支払いも苦しいなどのお話もよく耳にします。
そして、お墓もままならないし、法要なども行えないというケ-スでは、

 

充分なご供養が出来なかった・・・との思いを抱え・・・その後の人生に罪悪感などを持って生きてしまう怖れがある・・・

 

という方もいらっしゃる事と思います。
このような罪悪感などを感じてしまう心根には、ご先祖様や他界されたご家族などの方を敬う素敵なお気持ちから来ている事と思います。
そこで、このTOPICSでも何度かお伝えしておりますが、

 

ご供養とは・・・形式や儀式が大切なのではなく・・・大切なのは「思い・心」を込める事です・・・

 

と。
勿論、形式や儀式に全く意味が無いという趣旨ではありません。
しかし、「思い・心」が込められていない法要などを行ったとしても、正直言ってほとんど意味がないのでは?と個人的には感じますし、何より、「思い・心」が込められていない法要などを行って貰っても、他界されている方々は本当に喜ぶでしょうか?
ここでもやはり、ご供養の「本質」というのが問われてくると感じます。

 

そして、今回も長くなったついでに、今回のテ-マの「本質」と前回のテ-マであった「スピリチュアル」を絡めて、少し余談をお伝え致します(笑)
このTOPICSでは、いわゆる「憑依(現象)」も取り上げたりしています。
そして、「憑依(現象)」そのものではありませんが、これと「本質」が同じ出来事は身近で頻繁に起こっているものです。
そこでまず、

 

憑依(現象)は、憑依を受ける人(側)にも原因が必ずある

 

という「大前提」を踏まえておいて下さい。
では、理由はさておき、あなたには心底大嫌いな「Aさん」という人が周りに存在すると仮定します。
すると、あなたの元に「Bさん」が寄ってきて、

 

「Aさんって、とても意地悪くて、皆から嫌われているよね!」

 

と、あなたに話しました。
「Aさん」の事を心底大嫌いと感じているあなたは、

 

「そうだよね!」

 

と答えました。
それから数日経ったところ、あなたは次のような事を「Aさん」から言われます。

 

「「Bさん」から、「あなた」が私(Aさん)の事を意地悪くて、皆から嫌われている!って話していたって聞いたけど、これはどういう事!?(怒)」

 

と。
ここ迄でもうお分かりの事でしょう(笑)
このような出来事は、

 

あなたの中の「「Aさん」が心底大嫌い」という、行き過ぎた感情が「Bさん」を通じて炙り出された

 

という事です。
勿論、好き嫌いという感情は誰にでもありますし、私にもあります(笑)
それは無理に否定したり、あまり自分を嫌悪する必要性もありません。
ただ、このような感情が行き過ぎてしまうと、

 

「私にはよく分からないけど・・・」と、客観視した受け答えをしていれば問題にならないケ-スが・・・
「そうだよね!」と、あなたの行き過ぎた感情が主観を通して炙り出された事によって問題となってしまった・・・

 

事で、ややこしい状況を創り出してしまった・・・という場合です。
そして、ここでは間違いなく「Bさん」はあなた以上に「Aさん」を大嫌いなはずです(笑)
このような状況が創り出されてしまった原因は、

 

あなたの中の行き過ぎた感情と・・・隙(間)を見せてしまった・・・そして、その隙(間)を「Bさん」につけ込まれてしまった・・・

 

点にあります。
これは「憑依(現象)」と全く同じメカニズムです。
そして、「憑依(現象)」とは、何か目に見えない得たいの知れない存在?という事だけではなく、実は、

 

(生きている)人との間でも(普通に)行われている現象

 

というのも真実です。
そう言えば・・・「類は友を呼ぶ」という言葉もありますね(笑)
そして、このようなケ-スなどの人間関係においては、

 

あなたが付き合う人との距離感を決める事が出来る

 

というのも解決策の一つになります。
距離感と言っても、無視したりなどのイジメとは全く違います。
ここでは「Aさん」そして「Bさん」との距離感をあなた自身が決める事で、いわゆる大人の対応をしていればそれで済む問題です。
そして、距離感を保った事で、あらぬ誤解が生じたとしても、

 

誤解であればハッキリと理性で伝え・・・
その後の「Aさん」と「Bさん」との間に起こる事は・・・
「自分のした事は自分に反ってくる」のだから・・・と、放念する・・・

 

という心持ちを保つ事で、「好ましからぬ憑依(現象)」を防ぐ事が出来ます。
その為にも、

 

憑依(現象)を受けてしまう自分にも原因がある・・・と自分を見つめ・・・
低レベルの「好ましからぬ憑依(現象)」を引き寄せる・受け取るのではなく・・・
高レベルの「素敵なサポ-ト」を引き寄せる・受け取る!!!

 

という、本来のあなた自身の「本質」を取り戻してみて下さい(笑)
そして、もし「憑依(現象)」というものが、オカルトで非科学的なもので、荒唐無稽のあり得ぬものであるならば、

 

なぜ、わざわざ神仏などを拝んだり祈ったりという「行為」をするのでしょうか・・・?
なぜ、わざわざ学校などで、こっくりさんなどの「行為」を禁止するのでしょうか・・・?
そして、私達をこのような「行為」に突き動かす「何か」があるのでしょうか・・・?
そして、そうであるならば、私達の「本質」は「何か」を感じ取っているのでしょうか・・・?(笑)

2018年2月17日 04:02

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