不等号「>・<・≧・≦」を活用して「本質」を知る ~想像力を活用し一方的を回避する~ 

他に、より危険性の少ない「何か」もあるのでは?・・・という「想像力」を活用して話し合った事があるのか?

 

という点です。
学校教育という現場では、どうしても「先生から生徒へ」と一方的になりがちになる傾向があるのも理解出来ます。
ただ、組み体操は学習指導要領でも記載されておらず(かなり以前には記載されておりましたが)、昔からの伝統だから、他の学校でも行っているから、などの理由で、何となく漫然と教育の一環として行われてきた事と考えられます。
なお、私は全ての組み体操が危険という趣旨でコメントしている訳ではありません(安全に行えるものもありますので)。
ただ、このように以前からあまりにも事故件数が多いのと、死亡・重大事故にも繋がっているにも関わらず、その点に目を向けようとしてこなかったという観点に関して言えば、

 

あまりにも「想像力」が欠如していた・・・

 

との、厳しい意見が出ても致し方ないようにも感じます。
では、ここ迄で「何を伝えたいの?」「不等号はどうなったの?」と感じられている方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に整理していきます(笑)
まず、

 

「本質」とは、もの凄く広い観点から捉えれば、「全ての本質」は「ある一点に集約」されますが・・・

様々な状況においては、「本質」は「一つのみ」ではなく「多角的な面」がある・・・

 

という表現が可能です。
そして、先の3つの題材から、私は「本質」に導かれる「何か」として、

 

「一方的に過ぎる傾向」と「想像力の欠如」

 

を取り上げました。
そして、この「本質」に導いてくれる「何か」に光りを照らし、映し出してくれるもの、それは・・・

 

(イメージとしての)不等号「>・<・≧・≦」

 

です(笑)
小・中学校で習ったものですが、お忘れ?になっている方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単におさらいしてみます!
ちなみに、私もこのTOPICSを書くに当たりまして、忘れていたり不安な面もありましたので、再度調べ直して勉強しました(笑)

 

「>・<」は、より大あるいは小

「≧・≦」は、より大あるいは小、または等しい

 

です。
なので、「5>3 〇」「3>3 ☓」「3≧3 〇(なお、これに関しては「×」との見解も一部ではあるそうです)というようになります。
そこで、少し社会的な視野を広げて捉えてみますが、あくまで私個人が感じる「面」ですので、皆さんはどのように捉えて頂いても全くの自由です。
それは、

 

沖縄県の基地・事故問題における「アメリカ>日本(政府)」そして「(日本)政府>沖縄県」

原発問題における「経済>安全」

そして、現在行われている冬期オリンピックにおいては(政治はひとまず置いておきますが)、

(放映権の問題における競技開始時間等について)「商業(主義)>アスリート」

 

という図式になっているように感じてしまいます。
これが「一方的に過ぎる傾向」と「想像力の欠如」から生み出されているのでは?・・・という点ですが、

 

上記の図式は全てが「>・<」で表現されている

 

ものです。
そして、このような行き過ぎた面があるのでは?と感じられる状況に対して変化を望む際に活用出来るのが、もうお分かりかもしれませんが、

 

「≧・≦」で表現可能なもの

 

になります。
現在の社会や世の中では、確かにあらゆる意見の全てを反映させるというのはかなり難しい事とも思われます。
そして、誰かや何かの「犠牲を強いる」という意味では無く、ある「一定点」での選択と決断は必要になってくるのも実状ではあります。
では、もう一度、不等号の「≧・≦」を見ていきます。
まず、これに数字を当てはめてみます。