オーバードーズや薬害問題に見る究極の矛盾 ~経済至上主義の関係も~

【 オキシコンチンの重大欠陥 】

と言うのも、オキシコンチンに重大な欠陥が見つかります。

それは錠剤を砕いて粉末にすれば薬の遅延効果が失われ、原料の麻薬成分がすぐに効き始めるというものでした。

つまり、粉末を鼻から吸引したり、溶かして注射する事によって一気にハイになれる事が分かり、乱用目的で使用する者が続出していきます。

 

更に、薬を求め複数の医師を渡り歩く者や、医師の中にも乱用や転売目的と知りながらも《 自らの儲けの為だけ 》に処方箋を乱発する者まで出始めていく始末となります。

しかもパーデュー社は、そのような処方箋を乱発する医師を見つけた営業販売員には「ボーナスを出す!」という顛末にまでなっていきます、、、

 

 

【 オキシコンチンの被害と善意ある医師 】

オキシコンチンの被害が最も大きかった一つがバージニア州リー郡にある人口2万5千人の山あいの町で、ここは地場産業が林業や石炭採掘であった為に低賃金で働く労働者は事故や怪我が付きものでした。

つまり、慢性的な痛みを抱える人が数多くいたという事になります。

なおかつ、高齢者や低所得者向けの保険に入っている人が多く、薬代も保険適用になるので医師も安易に処方箋を出す傾向が高く、2000年には全米平均の6倍以上ものオキシコンチンが処方されました。

 

ただ、そのような中でもオキシコンチンに《 危機感を抱いた 》地元の医師もいて、その一人がアート・バン・ジー医師です。

アート医師によると、この町では直接間接を問わず、あらゆる家族がオキシコンチン中毒の影響を受けていたそうです。

中には成績も優秀で陸上競技をしていた若い女性が過剰摂取で呼吸困難になり、運ばれて来て一命は取り留めたものの、その後は麻薬中毒になったり、地元の高校生の4人に1人が乱用目的で摂取していたりなどの実態がありました。

このような背景の中、2000年にはオキシコンチンの売り上げが10億ドルを突破する事になります、、、

 

【 暴かれ始める兆し 】

しかし、2001年2月にケンタッキー州でオキシコンチンの密売で大量の逮捕者が出て、それが新聞やメディアでも大々的に取り上げられた事により、オキシコンチンの危険性が全米に《 広く知れ渡る 》ようになっていきます。

そして、アート医師は2001年3月にオキシコンチンの危険性を訴える(伝える)為の地域集会を開催したり、FDAへ提出するオキシコンチンのリコール請求署名を集める活動を行っていました。

すると、パーデュー社の幹部がアート医師に面会を求めて来ます。

 

その表向きの理由「中毒患者の治療や乱用問題の解決の為に、この地域に10万ドルを提供する」というものでしたが、この《 真の動機 》は口封じや署名活動などを止めさせる為の買収行為でした。

アート医師(達)はパーデュー社からお金を一切受け取らなかったものの、署名活動も実を結ぶ迄には至りませんでした、、、

 

 

【 更なる被害の拡大 】

《 既に 》この頃にはオキシコンチン中毒患者がアメリカ東部全域に拡大していました。

2000年には違法なコカインやヘロインの過剰摂取による死亡者が「3、552人」であったのに対し、医師から処方されたオキシコンチンを含めたオピオイド鎮痛剤の過剰摂取による死亡者が「3、785人」と上回る事態になってしまいます。

更に、その後も年を追う毎に処方されたオピオイド鎮痛剤による死亡者が増え続けていきました。

 

後に精査された所では、オキシコンチンが発売された1996年の処方数は「31万6、000」であったのに対し、2001年には20倍以上の「718万」に膨れ上がっていました。

ここに密売人達が目を付け、闇市場ではオキシコンチンはコカインに次ぐ人気商品となり、通常よりも高値で取引される状況になっていました。

 

そこでバージニア州の検察局も動き出しますが、検察が目を付けたのがパーデュー社の「中毒になるのは1%未満」との謳(うた)い文句であり、先の医学雑誌に寄稿した研究者を突き止め、パーデュー社の謳い文句には全く根拠が無いとの証言を得ていきます、、、