オーバードーズや薬害問題に見る究極の矛盾 ~経済至上主義の関係も~

【 新薬流通の実態 】

サックラー氏は臨床試験の代用として緩和ケアの権威と言われていた人が書いた論文を利用します。

この論文の一節には『 オピオイド鎮痛剤を投与した患者が中毒になるリスクは低いと書かれていました。

この根拠は「ニューイングランド ジャーナル オブ メディシン」という医学雑誌に掲載されていた記事(データ)を参考にしていますが、その記事は僅か5つの文章からなるメモのようなもので、到底科学や医学の論文と言える性質ではありませんでした。

 

更に、その論文の中の『 入院患者1万1、882人にオピオイド鎮痛剤を投与したところ中毒症状を示したのはわずか4人 』との一節も代用しますが、実は、これは短い入院期間を対象としたものであり、長期間服用した患者を対象としたものではありませんでした。

にも関わらず、サックラー氏は自らに都合良く解釈した「中毒リスクは1%未満」という言葉(触れ込み)を生み出し、そこから大々的に宣伝していく事になります、、、

 

 

【 パーデュー社の思惑とFDA職員との共依存 】

それと同時にパーデュー社は慢性疼痛の人にも幅広く使えるよう新薬を審査する政府機関のFDA(アメリカ食品医薬品局)に認可を迫りますが、特に売り出しに際しパーデュー社が拘(こだわ)ったのが「中毒性が低い事を薬の効能として表示出来るかどうか」という点でした。

1995年10月16日にFDAの担当官であるカーチス・ライト氏がオキシコンチンを新薬として認可します。

しかし《 後(のち)に 》当時の状況について書かれた司法省の内部文書では『 ライト(氏)はパーデュー社の幹部に新薬承認の為の申請書類を書くのを手伝えば審査を早める事が出来ると協力を求めた 』と報告されています。

 

そしてパーデュー社が協力した結果、その僅か数日後には認可が下り、パーデュー社の《 思惑 》通り「オキシコンチン錠剤が提供する遅延吸収は薬物の乱用リスクを軽減すると思われる」との一言が付け加えられ、薬の効能の表示が出来るようになりました。

そしてFDAの歴史上、このような根拠の無い非科学的な主張が承認されたのは、このたった一度だけだそうです(ただ、これから先は分かりません、、、)。

ちなみに、ライト氏はFDAを退職後にパーデュー社に再就職し、年収はFDA時代の2倍という好遇で迎えられました、、、

 

 

【 新薬売り込みの実態 】

1996年1月にオキシコンチンが発売されますが、その記念パーティーでもサックラー氏は「乱用リスクが低いのを触れ込みに売って売って売りまくれ!」と宣言します。

ちなみに、売り込みの為の営業販売員向けに社内イベントも開催されますが、それはマルチ商法や催眠商法さながらの過剰な熱気のような《 空気(感) 》が流れている異様な光景でした。

 

そして、幅広い患者へ処方を可能にする為に現場の医師の抵抗感を取り除く事が必要となっていきます。

この新薬の売り出しと同時期に、痛みによる苦痛をコントロールする組織のアメリカ疼痛学会が「脈拍・呼吸・体温・血圧」に次いで「痛み」を5つ目のバイタルサインであると提唱し、オピオイド鎮痛剤の使用を《 奨励 》します

ただ、パーデュー社は大々的に売り出す為に、同種の他の組織も利用していきますが、その組織もパーデュー社と同社の関連組織から資金提供を受けていた事が後の捜査で判明します、、、

 

他にパーデュー社は医師を無料旅行に招待したり、症状が改善した(と思わせる)患者を《 作為的に 》出演させた販売促進ビデオを医療機関に大量に送り付けます。

それと同時に医療関係のデータ会社からオピオイド鎮痛剤の処方に抵抗が無い医師をリストアップして貰い、より効率的に売れるようにする為に家庭医や町の開業医を売り込みの対象として絞り込み、そこに営業販売員を続々と送り込んでいきます。

 

更に医師への売り込みでは、成分量を変えた7種類のオキシコンチン錠剤を作り(用意し)、最も成分量が少ない錠剤は医師が処方しやすいようにとの目的で作られます。

しかし、成分量が低めでは鎮痛効果が長続きせず、より効果が出て長続きする為に成分量の多い薬が処方される《 流れ 》になり、最終的に患者は最大成分量まで行き着き、一生涯、薬を飲み続けなければならなくなります。

ただ、これすらも医師に売り込む為のマニュアル通りの指示であり、当初からその思惑の元に《 仕向けられたもの 》でした。

 

 

こうして世にオキシコンチンが大量に流通していく中、「医師の処方通りに服用していた」患者から麻薬特有の中毒症状や禁断症状を示す人が続出していきます、、、