華岡青洲に学ぶ丁寧という姿勢 ~活物窮理を人間関係に当てはめる~

では、話を戻しまして、そのような世界の状況でしたが、先のエーテルの発明に遡ること約40年前の江戸時代中期の日本で全身麻酔による乳がんの手術が既に行われていましたが、残されている詳細な記録があるものとしては、これは世界初(の出来事や偉業)とされています。
そして、これを成し遂げたのが今回の華岡 青洲(1760~1835)になりますが、華岡は紀州藩(現在の和歌山県)にある小さな村で代々に渡り村医をしていた一家に生まれ、後に華岡自身も医師をする事になります。

 

と、ここでも寄り道ですが、2023年9月2日・9日の第474・475回目のTOPICSは『 環境が人を創る事の功罪(光と闇) ~スタンフォード監獄実験&ジキルとハイドより~:前半後半 』というテーマをお届けしておりましたが、私の父は医師をしておりましたが、私が2歳頃にある病院で勤務医をしていました。

その病院で父と一緒に働いていた外村先生という医師のお子さんに、大御所かつ人気バンドのGLAYのギタリストのHISASHIさん(ヒサシ:本名は外村 尚さん)がおりました。
社宅のような所で家が隣近所でもあった事から、父が外村先生の家に招かれて遊びに行った所、外村先生は凄いオーディオ機器を持っていたと後に父から話を聞いた事があります(笑)

「蛙の子は蛙」「鳶が鷹を生む」、また「三つ子の魂百まで」との言葉もありますが、魂の視点では《 子どもは親を選んで産まれてくる 》と言われますが、この「選んで」という一つの要素には、

 

自らの魂の目的を叶える為の《 (広く大きな意味での)環境 》も含まれる

 

とも言われます!

では、話を戻しますが、華岡は若い頃に当時の医学の中心地であった京都で3年間を過ごし、その時にオランダ医学の大家であった蘭方医の大和 見立(やまと けんりゅう)の元で外科を学びますが、紀州に戻り診察をして治療を行おうとしても、患者さん達が怖がって手術を受けない事により力を発揮する事が出来ないでいました。

ちなみに、当時は幕府や藩にはお抱え医師がいましたが、治療は漢方薬の服用が中心であり、また、他の一般庶民を診る医師では現在のような国家資格なども無く、自称医師として診察や治療が行われていた時代です。

 

そのような状況の中、華岡は手術を受ける際に全身麻酔のような効果があるものが何かないか???と思索を続けていた所、幼少期の頃に父親から聞かされた話を想い出しますが、それは中国の後漢時代に存在したとされる伝説の名医の華佗(かだ)の事であり、華佗は患者さんに麻沸散(まふつさん)という薬を飲ませて眠らせ手術をしていたというお話でした。

そこで華岡は麻沸散を現代(当時の江戸時代)に蘇らせる事に取り組んでいきますが、実は華岡は先の京都で過ごした際に、漢方の大家である漢方医の吉益 南涯(よします なんがい)の元でも学んでいた為に薬草の知識も豊富でした。

そして色々と調査を進めていく中で草鳥散(そううさん)という痛み止めの薬に出逢い、この薬には11~14種の薬草が使われており、温かいお酒に溶かして服用するものでしたが、華岡は重要な薬草はその内の2つであると狙いを付けました。
一つが烏頭(うず)というトリカブトの根であり、これにはアコニチンという鎮静作用があり、もう一つは曼陀羅華(まんだらげ)という花であり、これにはスコポラミンという意識消失作用があるものでした。

 

しかし、どのように配合すれば良いのかが一番の難題であり、薬草とは言え匙(さじ)加減を少しでも間違えば毒となり患者さんは死に至ってしまいます、、、

こうして華岡は前人未踏の全身麻酔薬の研究と開発の道に足を踏み入れ邁進していく事になっていきます、、、