華岡青洲に学ぶ丁寧という姿勢 ~活物窮理を人間関係に当てはめる~

そして、草鳥散を分析し改良に改良を積み重ねていきますが、研究途中の薬の効果や適正量などを確かめる術も無く、近所にいる動物などでいわゆる動物実験も行ったりしますが、人間と動物とではやはり違いがあり、ましてや人体実験(今で言う所の臨床試験)も出来ない事から研究と開発は行き詰まりを見せるようになります。

そのような状況の折、華岡の母親と妻が被験者になる事を申し出ますが、結果として母親は麻酔の眠りから覚めずに亡くなり、妻は薬の副作用で失明してしまった、、、という逸話がありますが、この真偽は定かではないそうです。

と、ここで寄り道ですが、これも幾度もTOPICSではお伝え済みの視点ではありますが、

 

憧れの人を《 真似(まね)る 》事は大切で役立つ面があるが・・・

憧れの人に《 同化 》してはいけない!

 

なぜなら、その憧れの人が辿った足跡と似通った経験をしがちになるからです。
故に、

 

感謝して他人の経験から学ばせて貰う!

 

というのも、大切で必要な姿勢となります!

では話を戻し、母親と妻の協力を無に帰さない為にも、その後も華岡は更に研究を進めていき、華岡の門弟の記録によると研究開始から10年後には十数人に全身麻酔薬の効果が認められるようになっていたと記されております。
そして、6種類の薬草からなる配合を割り出し、華岡はこの全身麻酔薬を通仙散(つうせんさん)と名付けます。

しかし、華岡はその後も実際に通仙散を使った手術をすぐに行う事はしませんでした。
それどころか、華岡は更なる安全性や効果を高める事であったり、副作用が出た際の解毒剤の開発など、実用化に向けた準備に徹底的に取り組んでいきました。

 

そして、研究を始めてから18年経った1804年、他の医師達から手の施しようが無いとされた末期の乳がんの女性が華岡の評判を聞きつけ、最後の希望、藁(わら)にもすがる思いで華岡の元を訪れます。
この時も華岡は京都で過ごした際に、乳がんは外科手術で切除出来ると本で読んだ事を想い出しますが、なかなか手術に踏み切る事が出来ずにいた所、その女性の切なる懇願により華岡は全身麻酔を用いた手術を決行する事を決断します。
この手術は無事に成功し、女性は20日程で退院出来たと言われておりますが、これが先程の『 残されている詳細な記録があるものとしては、これは世界初(の出来事や偉業)とされています。 』との、世界で初めての全身麻酔による外科手術となりました!

 

その後は乳がんのみならず、他の病気の手術にも全身麻酔を用いて数多くの命を救っていき、華岡の後継者達によって日本全国に展開されていきました。

そして、華岡は変わらずに自宅兼診療所である春林軒で治療を行うと共に、華岡の元には医学を志す大勢の人達が学びに訪れ、その門下生の数は千人以上とも言われていますが、門下生は麻酔や手術の技術を身に付けた後に卒業となりますが、その際に華岡は卒業する門下生に誓約書に署名する事を求めました。

この誓約書の内容というのが『 同門の人以外に手術や全身麻酔薬の扱いなどを教えたりしてはならない 』とのものでしたが、この《 真の動機 》としては、門下生の中には全身麻酔薬の創り方などの情報(今で言う所の特許)を他者に売るなどを防ぐ事であったりも含まれると考えられておりますが、これ迄の華岡の姿勢を鑑みますと、やはり使い方を少しでも間違えれば死を招きかねない薬である事から、何よりも患者さんの安全性を第一に考えての事が一番の主眼であったと捉えられております。