環境が人を創る事の功罪(光と闇) ~スタンフォード監獄実験&ジキルとハイドより~:後半

良かれ悪しかれ・・・多かれ少なかれ・・・

人は環境にも《 影響される(影響を受ける) 》・・・

 

と捉えております。
ただ、

 

あまりにも周囲の環境に影響を受けやすい時には・・・

自らの《 軸や芯 》がぶれている(揺らいでいる)・・・

 

という事も当てはまります。
勿論、周囲の環境が自らの軸や芯を揺さぶっているから自らの軸や芯が(過度に)ぶれてしまう事もあるでしょうし、自らの軸や芯がぶれているからこそ周囲の環境が自らの軸や芯を(過度に)揺さぶってしまうという事もあるでしょう。

そして、今回のテーマである「環境が人を創る」という場面としては、良い意味での家庭内や学校等での教育も然り、反対に悪い意味での家庭内での虐待や教育現場等でのイジメなども然り、広く世間的にはSNS等での(匿名による)誹謗中傷なども然りです。

 

そのような「環境が人を創る」という事が《 多面多層 》で行われている中でも、「職場(仕事場)での環境」というのが一番経験する場面が多いかもしれません。
行政や政治も含め、民間企業等でも不正や不祥事が後を絶たないのが《 残念な現実 》でもあります。
そして、ここにはいわゆる「忖度」なども含まれ、「立場や肩書きが人を創る」との言葉もありますが、

 

特に職場(仕事場)の環境に迷っていたり悩んでいる渦中には・・・

今一度自らの立場や役割を《 振り返ってみる(自らに問うてみる) 》・・・

 

という事を行ってみて下さい。
すると、

 

責任の所在などが明確になってくる

 

という《 自分の中の整理 》がつきやすくなっていきます。
勿論、自分のした事でミスや間違いがあった際に、上司や同僚等の誰かや何かの(全ての)責任にして良いという意味ではありませんが、おそらく現在の(多くの)職場(仕事場)で行われていてトラブルになりがちなのが、

 

上司のミスや間違い(指示しないなどの不作為も含め)を部下に押しつける・・・

そして自らで責任を取らず・・・

責任の所在をうやむやにしたまま・・・

その後も何となくうやむやのままで仕事が進められてしまっている・・・

 

という点にあるように感じます。
ここには、

 

周囲の不作為(見て見ぬ振り)なども含まれる

 

という事になりますが、様々な《 力関係 》からそうせざるを得ない(意見も述べられず従うしかない)というケースも多い事でしょうし、そのような際に《 無理矢理 》に自らの《 言動(行動) 》に結び付ける事を勧めるなどは私も致しません。

そして、現実の社会や世の中では「目的の為には手段を選ばず」であったり、「無理が通れば道理が引っ込む」というケースも多い事でしょうし、そこに更に「同調圧力」「顔色を窺う」「空気を読む」「承認欲求」など、《 様々な思いの要素 》も含まれてくる事でしょう。
そして、私自身も同様ですが、