環境が人を創る事の功罪(光と闇) ~スタンフォード監獄実験&ジキルとハイドより~:後半

実験の第1日目、看守も囚人も《 平穏に 》過ごしており、看守にも《 高圧的な態度(言動) 》は見られませんでした。

そして第4日目囚人が不自由な暮らしに不平不満を漏らし始め、看守に激しく抵抗するようになっていきました。
そこで、ある囚人が「タバコをくれたら抵抗を止める」と言ったので、看守はタバコを与えるなどの《 良心的な(!?)態度 》を保つ事にしました。

 

しかし、《 その後に 》看守達の間でタバコを与えた事に関して、「他の囚人も見ていたから、囚人でも好きなように出来る事を理解させてしまった」、「囚人のやりたい放題になる」、「もっとキツくするべきだ」、「いや、そんな事はない」など、《 皆が同じ役割を担っている 》看守達の間で《 意見や考えがバラバラ 》になり始めていきます、、、
この傾向に対し、後にハスラム氏が次のように分析しています。

 

ハスラム氏:
『 ジンバルドーの実験では彼が看守のイメージを指し示す事で看守役に仲間意識が芽生え、集団として力を合わせようとしました。 しかしBBC監獄実験ではそうならなかった。 彼らは看守のイメージがバラバラな為、自分が所属する集団を信じなかったからです。 一方で囚人は自分達が不当な扱いを受けていて、置かれている状況を変えるべきだと考えが一致し、囚人役としての行動が明確になったんです。 社会心理学では集団の一員である事を強く意識する「社会的アイデンティティ」という考えがありますが、囚人役はまさにこれを共有したのです。 』

 

そして、一部の囚人は監房から脱獄を図り成功し、看守はその囚人を罰するどころか、囚人との《 話し合いに応じる 》事態へとなっていきます。
その結果として看守と囚人という《 立場を無くした平等な 》共同生活を送る事に切り替わっていきました。
これにより、監獄実験《 そのものの全体(趣旨) 》が崩れ去ってしまいました、、、
この《 ある種の異常事態 》について、監修者である二人が後に出した論文で次のように書いています。

 

二人の論文:
『 この研究の単純明快な発見はスタンフォード監獄実験とは異なり、「人は与えられた役割に無批判で従う訳ではない」という事である。 BBC監獄実験では権力を持ったグループのメンバーがどのように行動するかは、特定の社会的アイデンティティに関連する規範と価値観に依存する事を示唆した。 』

 

つまり「権力を持つ立場になっても集団の価値観が一致しなければ邪悪になる訳ではない」と結論付けましたが、しかし、後に実験は急展開していき、この平等な新しい共同体の動向の観察も引き続き行われていく中、《 再び波風 》が立ち始めます、、、

つまり、皆が《 銘々で勝手に振る舞い 》、刑務所の運営がまとまらない状況になり、それにより《 更に不満を抱える人(看守と囚人の両方) 》が増えていく事態となりました、、、

 

すると一人の囚人が「命令を実行するには強力なリーダーが必要」と訴え、看守と囚人の立場を《 復活 》させ、元は囚人であった《 自(みずか)らが 》看守のリーダーとなり、それに《 同調する 》元の囚人仲間3人を看守役に任命し、《 他の残り全員 》を囚人とし、《 自分達に従わせよう 》とし始めました。
このような新たな看守の《 行動(言動) 》に対しハスラム氏は次のように述べています。

 

ハスラム氏:
『 民主主義システムが機能しなかったからこそ、彼(囚人から看守のリーダーとなった人)は代替案が必要だと感じた、そう推測します。 歴史的には1920年代、1930年代のドイツがその典型的な例です。 物事が壊れ上手くいかなくなると強いリーダーシップを求める声が生まれ、それを実行出来ると期待される人が影響力を持つようになるのです。 』

 

こうして《 普通の 》男性が集まった模擬刑務所という今回の実験現場でも危険性が高まった為に、8日目で実験は中止となりました、、、
そして、二人は次のように結論付けます、、、

 

二人の結論:
『 スタンフォード監獄実験では囚人が抵抗を諦めた事で看守の暴政が強化されたが、BBC監獄実験ではコミュニティの失敗が新たにファシズムを出現させる道を開いた 』

 

つまり、今回の実験で観察された状況というのは、いわゆる《 独裁者の誕生と非常に似ている 》と結論付けた事になりました、、、