振り返ってからでは遅い事もある ~イギリス児童移民制度より~

そして、時を遡った1954年11月には、イギリス国内の複数の慈善団体がこの児童移民政策は《 さも良い事である(子ども達の為になる)かのような 》新聞広告という《 プロパガンダを利用(悪用) 》し、児童を移民させる活動を続けていった事も分かり、この慈善団体にはイギリスの主な教会組織や民間福祉団体なども名を連ね、いずれも《 歴史と伝統があり、社会的に信用された組織 》とされていました。

そして、こうした児童移民政策は1967年に終了し、《 人々の記憶から忘れ去られて 》いきます、、、

言わば、長い間、《 人権侵害が公然と国家の政策の元に行われ続けていた 》という事であり、先程の1987年1月にマーガレット氏は更なる調査に取りかかる為にオーストラリアに向かい、児童移民として多くの子ども達が送られたシドニーから調査を開始します。

 

そのシドニーにおける当事者の証言では、オーストラリアに送られる際には先程の「子ども達を新天地(実際は植民地)に送り出し、新しく豊かな人生に再出発させる」という《 名目のみ 》だけ告げられていたり、現地での歓迎ムードを醸し出す為に新聞記事の写真撮影等では《 最初だけは着飾った装い(綺麗な洋服など) 》が用意されていたり《 その後に 》実際に送られた地は荒れ地のみで全てが自給自足の生活であり、農地を耕したり山林を切り開くなどの《 大人でも辛く厳しく苦しい 》作業を強いられ、勉強もまともにさせて貰えず(故に大人になっても読み書き等が出来ない為に収入の低い単純労働にしか職を得られず)、何よりも、

 

自分の存在にまつわるもの(兄弟姉妹などからも)全てから《 切り離された 》・・・

 

というのが最も辛く、《 今でも大きな悩みの渦中にある 》と多くの人が証言しました。
そして、送られたオーストラリアの養護施設では名前や生年月日に関しても《 》を吹き込まれ、中にはまるで囚人であるかのように番号で呼ぶ所もあったそうです。

このように、子ども達から人格を奪い孤独に陥(おとしい)れ、それにより子ども達は人を信用する事が出来なくなる、そして、中には自分は《 人類にさえ 》 属していない(と感じる)と証言する人までもいらっしゃいました、、、

そして、このような仕打ちはイギリスや親元に帰りたいという希望や権利を子ども達から奪う為に養護施設が《 意図的に実行した 》とマーガレット氏は推測しておりますが、これは《 今で言う所のマインドコントロール(洗脳) 》(の一種)と同じです、、、

 

そして、ここでの《 仕組み 》としては、《 仮に 》(百歩でも千歩でも譲って)イギリスの慈善団体は《 良かれと思って 》取り組んでいたとしても、現地の受け入れ養護施設ではその為の教育もされず経験もなく、また、そのような《 体たらく 》な養護施設であるからこそイギリスの慈善団体は幅広いサービスを提供可能なように見せかける事も出来たという、いわゆる《 共依存 》が成り立っていたと考えられているそうです。

そして、オーストラリアのあるカトリック教会の修道院は子ども達の過酷な肉体労働により建設されていたり、その労働環境も劣悪であり、神父からは暴力等の虐待、更に性的虐待までもが横行していた事実も判明し、つまり、子ども達の《 肉体も精神も 》日常的に破壊され続けていたという事になります、、、

そして、それを《 裏付ける 》かのように、受け入れ先のオーストラリアの1938年8月11日のレコード紙という新聞には、あるカトリック教会の大司教の言葉として、

 

『 悲しい事ではありますが、ゆりかごが空(から)である事が過疎の一因となっている時代には、供給源を外部に求める必要があります。 白人の少年少女を連れて来て農業や家事を初歩から教え込むという政策には、子ども達をオーストラリアの環境に馴染ませ、オーストラリア人の感情や理想を彼等の中に染み込ませるという付加価値があります。 』

 

というのが《 皮肉 》のように残っております、、、

ところで1987年7月、マーガレット氏と共に調査を行っていたジャーナリストによる【 大英帝国の迷い子たち 】との見出しの記事がイギリスの新聞に掲載されるに至りました。
この記事には、

 

『 子ども達は慣れ親しんだもの、くつろげるもの、こうしたもの全てから引き裂かれて、イギリス連邦諸国にある施設や孤児院の欠員を埋める為に地球を半周して連れ去られた。 この子ども達は、ただ希望が持てない環境に生まれただけである。 この不運に対する報酬が流刑であったのだ。 』

 

という内容が書かれていました。

そして、この記事が《 発端(端緒) 》となり、イギリスの慈善団体は児童移民制度に協力する(実状は子どもを商品とみなす)事により国(イギリス)から補助金を得て、イギリスは植民地の開拓を進める事が出来、オーストラリアは自らの地を《 自らで汗を搔く事なく 》移民の子ども達で開拓出来るという、もはや共依存どころではなく、言わば《 負の三位一体 》とでも言うべき《 泥縄式 》の事態となっていた事が《 白日の下 》に晒され、《 責任の所在 》などが問われる事になっていきます、、、